間地紀以子さん
の世界
 2016年

カボチャ劇団
2015年(松戸市)

大しめ縄
2013年(流山市)
大室盆綱引き
 2011(柏市)
ハンカチノキ 送り大師 2011
(結願・高柳)
手賀
「大杉さま」

 


間地紀以子さんの世界 2016年5月


「ト・モ・ニ」   間地紀以子さんの風が吹いている手賀沼公園



 間地紀以子さんの案内状より


2016年5月8日から29日まで、千葉県我孫子市の「アートな散歩市」があり、

私は手賀沼公園の水辺に出品しています。

たくさんの友人たちに協力して集めていただいた古着のTシャツが素材です。

100枚以上集まったシャツやブラウスから

 「ト・モ・ニ」と言うタイトルのビッグサイズ作品が 3点生まれました。

そして残ったシャツ類は3月に、昨年のネパール地震被災地に支援品として届けてまいりました。

ありがとうの感謝をこめてご案内させていただきます。      Kiiko Machi


                             

この作品は3点のうちのひとつ



松戸 「カボチャ劇団」 2015-09-20

 

カボチャ?なかなかだよくやるね
































「カボチャ劇団」は日舞「中村流」の秋山淳子さんが指導する劇団です。
役者は70代の男性10人で、皆さんはアマチュア。
30年間も続いています。

発表会の平成27年9月20日は、松戸市栄町四丁目町会の敬老会でした。
劇団会長の秋山さんは、四丁目町会の会長でもあります。

「カボチャ劇団」の皆さんは、この敬老会に、毎年友情出演します。

今年の出し物は「名月赤城山」、「一本刀土俵入り」と踊りです。
出演者に「よくまあ覚えましたね。大変ですね」と聞きましたら、「三歩歩いたら全部忘れちゃうよ」。

ところで、なぜ「カボチャ劇団」なのか?

「大根よりカボチャの方が、味があっていいのでは・・・・」
そんな答えが返ってきました。











流山 赤城神社大しめ縄行事 2013-10-13 












































赤城神社の責任総代・山崎政治さん 大しめ縄行事のリーダー




この仕上がりを見た婦人が言った 「20代の肌みたい」


芸術だね体で言うと太ももかな



ここからは ↓ 2006年10月8日撮影 



















ここまでは ↑ 2006年撮影







流山に関して多数の著作物がある「青木更吉」さんです
青木さんがこの現場で発見した興味ある事実があります
青木さんのレポートを待ちましょう 早う書いてね

 2013-10-16







特別企画

 
私のスカイツリー

2007年10月25日 合成写真(モノクロ)



2013年 05月24日 実風景(カラー) 


白黒写真は、2007年10月25日に、浅草吾妻橋の袂からスカイツリーはこんな風に見えるだろうと想像の写真を作りました。
タワーは工事現場に書いてあった完成予想図を複写して風景に合成したものです。


本当は、ある企画で、地図から位置を確認して作った写真なんですが・・・・。

残念ながら、その企画はボツになりました。惜しかったなあ・・・。

5年半後の2013年 05月24日のスカイツリー実風景(カラー) と比べて見て下さい。




2013年 05月24日      実風景(カラー)
2007年10月25日   合成写真(モノクロ)





送り大師=2012-05-01

柏駅前の長全寺で

2012年の「送り大師」は柏駅前の長全寺から始まりました。
この寺の檀家さんは、1000を優に超して千葉県で3番目だそうな。柏の発展を象徴するような印象があります。

私のことでは、最近友人が2人亡くなりまして。先ず仏様に気持ちを込めて手を合わせました。

懐かしい顔ぶれから色々情報を収集、その報告をしましょう。


物騒な話ですが、毎年元気に参加する長老メンバーに、大変悲しいことが起こった。大師様のご加護を受けている身に、考えられない出来事だった。

この日は、例年なら、やあやあ元気ですか、と声を掛け合うのですが、今年はそういう関係の人がめっきり減った。
旧沼南町の塚崎の知り合いも減った。
塚崎のご婦人は緑色の手ぬぐいを被るのが習慣になっているのですが、そのいで立ちは、たったの1人。
塚崎住人・森かずおさんの話では今年は地区の寄り合いで50人集まったのだが、知っているのは5人ほど。さみしいねと言っていた。

そうそう、ローライコードを首から提げた美人に再会。これはうれしかった。独身かな? 

寂しい話を再開します。

手賀の近くの人の言うことには、手賀東小学校は5人以下の学年もあるそうな。駐在さんには子供が2人、貴重な子供さんだ。だから転勤しないで欲しいと嘆願書を出したらしい。
家の近くで子供の声がしないと本当に寂しいもんだ、と嘆いていた。
この手賀から布瀬地区は、大きな屋敷、長屋門、景色のいいところなんですが、過疎地域。何とももったいない。

その反対に、手賀の杜に新住民が増えて、増えて。風早北部小がマンモス校になった。手賀西小にも生徒を振り分けようかという声が上がったが、親が反対したそうだ。少人数の学校じゃ、成績が下がるから・・・・。
のんびり育てた方が良いと思うが、親はそうは思わないらしい。
悲しい話だね。

あっ。そうそう、手賀大橋・道の駅は初めて赤字になったそうだ。放射
能の影響だ。
たった一年で、世相も景気もがらっと変わってしまった。
悲しい話だ。いや、ほんと。

「なむ・でえしさま。不景気へんじょうこんご(返上今後)」


一つくらい元気な話はあるだろうと聞き直したら。ありました。
「手賀沼トライアスロン大会」。沼は泳ぐのに問題はないとのこと。
5月1日から出場申し込み開始。初日で満杯になるとのこと。
この情報を教えてくれたのは旧沼南町の住人で、大会の役員をしています。立派です。
追加情報ですが、この原稿を書いているのは5月2日。トライアスロンの広報サイトでは、まだ満杯とは書いていなかった。これも放射能の関係かな。


5月1日、
私は、大師様と同行二人で手賀沼まで行ったのですが、皆さんの歩きの速いこと。そんなに急いでどこ行くの、てな歩き方。 そこでお別れして手賀沼温泉で極楽浄土。

いいんです。私は私の「送り大師」。


5日、練り込みの獅子・ひょっとこは柏神社の方々です。





大津川を渡る


バスは歩かない遍路人を運ぶ 昔はデラックスバスが多かった 今は小型ばかり





結願 柏・長全寺 2012-05-05








2011年 高柳大結願
の送り大師 へ跳ぶ









大室の盆綱引き=2011年8月15日




元禄12年(1699)に始まったといわれる「大室の盆綱引き」は、平成9年を最後に後継者不足で中断。昨年13年ぶりに復活しました。
私が初めて「盆綱」を見たのは中断する前でした。当時はまだつくばエクスプレスは開業していなくて、「JR柏」駅からバスに乗って行きましたので、ずいぶん時間がかかりました。
今は「TX柏たなか」駅から歩いて5分です。





夕方6時半から子ども盆綱引き。応援するおじいさんが本当にうれしそうでした。

ところでこのあたりは今夜が送り盆です。お墓に電気をともしてお参りします。





この綱、昔とは少し細いように見えました。良く聞いて見るとその通りで、長さも短くなっているということでした。理由は聞きませんでした。それよりも復活させた努力を褒めなければ。

綱引きの場所は昔のままです。「道路にはもっとカヤが敷き詰めてあったように覚えていますが・・・・」と言いますと、その通りという返事でした。

もう一つ大きな違いは白装束からピンクのTシャツに。
そうなんです。皆さんは町内会の選手なのです。

これは行事の主体が大室盆綱保存会から大室町会に代わったからでしょう。









この綱引きは競争ではありません。神事です。綱が神輿と考えた方が分かりやすいと思います。左右上下に大いに振って、そして引き合うのです。お祭りで神輿をもんでいるのと同じではないでしょうか。




本来なら、3回引き合うのですが、とんでもないことに・・・・



最初の引き合いで、綱が切れてしまいました。

こんなこと初めてだそうです。「今年は大震災があったしなー。何が起こるか分からん」なんて声も上がりましたが、誰も不吉の兆候とは思いません。ハプニングです。
大きな尻餅に大笑い。






という訳で、1回の引き合いでノコ入れ。これで終了です。



拍子木で神事を締めて



双方勝ち負けなく みんな仲良し 「バンザイ、バンザイ」



そのうち、昔に撮った「大室盆綱引き」を見ていただきます。
フィルムで撮ったものですから、デジタル
変換の必要あり。
時間がかかると思います。気長に待って下さい。








送り大師 2011年5月1日から5日まで


5月1日


森かずおさんの写真展 昭和62年高柳結願でも開催された
以下は5月5日 結願日


中食の料理 1992年頃は重箱に手作り菜でしたが 今は仕出し屋さんから


結願(5日)の練り込みは 福寿院前から出発








練り込み 露払いを先頭に ゆっくりゆっくり進む


手賀東小卒業生の手賀囃子メンバーが練り込みに参加


お囃子の連中は観客と掛け合いをするものですが 若いから慣れていない


送り大師は太平洋戦争中に1回休んだだけ 今回で203回目です





手賀囃子で盛り上げる





「めぐみ先生」---念願の幼稚園の先生になった おめでとう




来年の結願は 柏市柏・長全寺です




今までに取材した「送り大師」を見て下さい


タイトルをクリック
 
1992年と2003年の写真でオートスライドを作りました
かつての様子がよく分かります
手賀沼周辺の祭り・芸能を巡る中で
「送り大師」を紹介
2009年と2010年の様子を紹介しています


(↑クリック)  との関わりについて

2002年5月5日、送り大師--手賀地区結願の日の様子です。

この時、輸送トラックを舞台にして小学生がお囃子をやっていました。皆さんは手賀東小学校で手賀囃子のけい古をしていると聞き、取材を申し込んだのが、「おはやし学校」の始まりです。

当時の生徒さんが、今年の「送り大師」練り込みメンバーとなっています。


2004年5月5日、白井市延命寺での結願日に子どもの手賀囃子出演を依頼され、当時は退職されていましたが、林先生がみんなと一緒に弁当を食べている様子です。




2011年 手賀「大杉さま」「手賀ばやし」へ




 




「ハンカチノキ」物語

我が家のハンカチノキ 今年はひょっとして咲くかも 新芽から追いかけました 

「ハンカチノキを植えた理由」へ跳ぶ


我が家のハンカチノキは咲いたか?


我が家のハンカチではありません  が・・・


これが正真正銘のハンカチです



ハンカチノキの本家で どこ?



シーズンは過ぎて殆どのハンカチは落下していました





小石川植物園で撮りました


2011-05-03




今年の「ハンカチノキ」物語は ここで終わり 来年を待ちましょう




ハンカチは 見られませんでした

がんばって咲いて欲しい
 来年こそ

2011-05-05



早くこうならないかな クリック




ツツジは咲けどもハンカチはまだ

今年もどうやらダメなようです

2011-05-02







2011-04-30












2011-04-27





2011-04-24





2011-04-23





白いものは 残念ながら「カサブタ」のようなものです



2011-04-20





ポチッと何か白いものが ひょっとしたら・・・
2011-04-19




家は築25年過ぎています 地震が心配  昨日もひと揺れありました



2011-04-17




昨日は5月末並みの暖かさで 急に葉っぱが出てきました
2011-04-16





2011-04-14



2011-04-11 新芽が出てきました


今年の様子はここから始まります 上へ


ハンカチノキ(学名:Davidia involucrata)は中国の四川省・雲南省付近原産の落葉高木。属名のダビディア(Davidia)で呼ばれることも多い。
花についた白い大きな2枚の苞葉が垂れ下がりよく目立つため、日本では「ハンカチの木」とか「幽霊の木」。1属1種で「植物界のパンダ」と呼ばれる。




我が家にハンカチノキを植えた理由  信田へ



私は、1989年に朝日新聞の日曜版連載「世界花の旅」取材で、中国の蛾眉山に登りました。
植物界のパンダと呼ばれる「ハンカチノキ」が咲いているはずでした。
残念ながらひとあし遅れてだめでした。




シャクナゲ(左)          ハンカチノキ(右)



あきらめきれない気持ちのまま、次の花、「シャクナゲ」を取材するためにチベットに近い氷河地帯のミニヤコンカに向かいまして、途中の山中で満開の「ハンカチノキ」を見つけることが出来ました。

あまりにも立派な木だったので、見つけた感動は今でも新鮮に残っています。

新聞に掲載した写真の説明は次の通り。
「ダヴィディア・インウォルクラタ--Davidia involucrata-- 中国四川省西部にある二郎山の中腹、標高2000メートルほどの湿気のある谷間のとうてい近寄れないような場所で、ぽつぽつといくつかの木に花が咲いているのに偶然出合った。
それまでずいぶんとこの木を探していたのだが、なかなか花が満開の状態のものには出合えないでいた。
大人の手のひらほどの大きさの総苞片(そうほうへん)が
風に揺られている姿は、まさにハンカチノキという別名が納得出来た。
この植物を発見したのは、フランス人神父のアルマン・ダヴィッドで、かれは1862頃から中国の辺境を旅し、ジャイアントパンダなどの珍しい動植物をヨーロッパに紹介した。5月下旬に撮影」

取材記事で、「ハンカチノキは東京の小石川植物園で見ることが出来る」と出たものですから、次の年にはわんさか人出がありまして、「ハンカチノキはこちら」と看板が出るようになりました。
日本の「ハンカチノキ」ブームは、実はこの時に始まったのです。

1989年といえば「天安門事件」の年。 北京天安門事件の始まりの頃を取材後、電話も通じない四川省の3500メートルの山中にこもったものですから、日本にいる家族や親戚はたいへん心配したようです。
そんなこととはつゆ知らず、私は記者と二人で、天空の花を追いかけていたのです。

それから18年経った2007年、新聞社カメラマン生活の
思い出として、我が家に「ハンカチノキ」を植えました

それは「世界花の旅」に一緒に行った週刊朝日の池辺史生記者から、自宅に植えたハンカチノキを見に来ないかと誘われたのがきっかけでした。2006年の4月末のことです。

2007年3月18日、塩島造園様に2メートルほどの幼い木
を植えていただきました。

この花は咲くまで数年かかるようです。
今年はひょっとして、と毎年期待し続けています。
満開のツツジの上にひらひらとハンカチがそよぐのを楽しみに。






ツツジの上にハンカチノキの若木

これは 2008年 5月13日 の写真です

 撮影ノートより









柏市・手賀「大杉さま」「手賀ばやし」2011年01月30日

手賀東小で手賀ばやしを指導していた篠原喜世雄さんから、「大杉さまに来せんか。小学生だった子がやってますから」とお誘いを受けて、久しぶりに手賀に。


村の中に響く太鼓の音を聞きながら、川瀬巴水が昭和5年に版画にした「手賀の渡し」が見渡せる共同墓地高台に立ちました。手前左、橋のあるところがかつての船着き場でした。


「筑波見ゆ 冬晴れの 洪(おお)いなる空に」 楚人冠

金村商店の若主人から聞いた話では、「天気のいい日には日光連山まで見えますよ」。


巴水の手賀沼(クリックすると解説に)





手賀沼が望める手賀城趾の稲荷神社でおばあさんが休んでいました。
聞いて見ると大正15年生まれ、そうすると85歳。白井の平塚から嫁に来たと言いました。

「昔は手賀の渡し船で湖北駅まで野菜を運んで、汽車に乗って東京へ売りに行く人達に渡したんだ。朝3時に起きる毎日。櫓を漕ぐ和船だったから向こう岸まで40分もかかったよ」



手賀ばやしの皆さんが回って来ました。

最近は子どもが減って、元気な声が聞こえません。コンピュータゲームをしていた小学生に聞くと、手賀東小は50人ほどです。 私が手賀ばやしを撮っていた8年前は90人でした。
少人数は寂しいですが、考え方によっては、理想的な教育環境と言えなくもない。但し学校が地域の人々と密着していればね。

さて、話を変えましょう。
なぜ手賀ばやしの人達が、ひっそりした村の中を笛太鼓で廻るのか。

今回その理由が少し分かった気がしました 。

手賀というところを歩いてみると、村中いたるところにお墓があります。

自宅の横に墓。道を曲がると墓。路傍の墓。本当にそうなんです。

現世と来世が同居しています。

「ご先祖のみなさま。私たちはまだまだ元気ですよ」

そんな風にふれながら廻っているのかもしれないな、と思いました。

小野里さん 2003-12-18

あっ。そうそう。

最近亡くなられた太鼓の名人・小野里保さんはお囃子を聞いてくれたかな?

手賀東小の大先輩で、なかなかの男前だったなー。

卒業する生徒にかけた言葉がしゃれていた。

「おれは、卒業式の日に勉強カバンを校門に懸けたまま出てきちゃったよ」




「さあ始めようか」

柏市無形文化財手賀囃子代表・篠原喜世雄さんのかけ声でお囃子が始まりました。
大杉さまの直会(なおらい)が始まる前に、ひと踊りという訳です。

手賀東小でお囃子をやっていた生徒達は、今は高校生になっています。
難しい年頃なのに、素直に集まってくれました。
今日のための練習は2回。
本当はもっと多くの若者がお囃子に参加する予定でしたが、日曜日はどうしても用事があって、ちょっと少なくなりました。
「おかめ」をやるはずだった娘さんは
、大学の3年生。就職活動があったのでしょう。次回を楽しみに待ちましょう。
















皆さんお囃子の楽しさは忘れていないようで、郷土芸能はこういう若い人の手で受け継がれていくことでしょう。

手賀ばやしは、5月5日、送り大師結願(柏市高柳)<←クリック/跳ぶ>の練り込みに参加します。

篠原さんは言っています。
「今年の練り込みは若い人が主役です」





伝説の校長


2004年に退職された手賀東小の林禎絋校長先生は、毎朝登校途中の子どもの様子を見守っていた。今、地域住民が行っているスクールガードを校長自身がやっていた。
休みの日にはお囃子の子どもと共に地域の行事に参加された姿が懐かしく、本当に子どもが好きだったのだとみんなの話題になりました。
林先生の2代前の校長・中村先生が生徒に笛を買って与え
、音楽発表会で手賀ばやしをやられた。一回きりだったけれど、それが子ども手賀ばやしの始まりだったという話でした。




2003年から2004年頃の様子はオートスライドで見ることが出来ます。
全部見るには30分以上かかります。
当時の生徒は今高校生となって、今年の大杉さまに参加しました。

←をクリック


なお、手賀東小学校の生徒が活躍する地域の行事に、
「手賀のあんばさまさま」と「布瀬の大杉さま」があります。

←をクリック



伝説の校長と子どもたち

←をクリックして 「おはやし学校」に進むと 林禎絋校長先生と生徒達の様子を説明しています。



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