活動の記録-R
「緑地保全に関する覚書」



『関さんの森を育む会』会報 第31号
 2011年2月1日発行


「緑地保全に関する覚書」


この会報、すごいです。

24ページ、内容充実。

編集者の意気込みが伝わってきます。

びっしりと書き込まれた活動の記録を見ると皆さんの生き生きした姿が見えてきます。
会報というより年鑑です。

そのうちPDFに変換されてホームページで見ることが出来るそうです。

会報30号は掲載されていないのが気になります。
継続は力なり、です。

 

表紙(左)と活動の記録(右)       




今回は『関さんの森』緑地保全に関する覚書に調印 がトップに掲載。


この調印式は平成22年3月30日で、10ヶ月も前のことですが、その覚書の内容はこの会報で初めて公開されたことになります。やっとです。

道路問題に関して、市と合意書、覚え書きが交わされたのは、実は3回目です。けれどもこういう大事な文書が「関さんの森のホームページ」に掲載されたことはありません。
私はいつも不満でした。
新聞記事などを流用して、それを報告としがちですが
、それは新聞記者の見方です。
会運営のバックボーン的情報は組織の責任者の手で書かれた報告が大事だと思います。


都市計画道路3・3・7号についての覚書は、




「緑地保全」と「協議会」についての覚書 (平成22年03月30日)













2010年11月30日に関さんの庭で開かれた「緑と道路 市との話し合い(クリックで跳ぶ)を、私はたまたま聞きに行きました。
けれど、『関さんの森』緑地保全に関する覚書の内容を知らないものですから、何の話をしているのか、さっぱり分かりませんでした。当たり前です。どこにも発表されていませんでしたから。

会の活動を付かず離れずの関係で観察している私にさえ分からないのですから、情報公開度が低すぎます。もっとスピーディーに公開しなければいけません。
これでは市民運動にはなりません。こういうのを、昔は「ボス交」と言いました。



そこで意見を言わせてもらうと、関さんの森の考え方や交渉結果は、ネットで迅速に、日本中に伝えるのがいいと思います。
個人間のメールは盛んですが、それだけでは何もなりません。重要なのはインターネットによる情報公開です。  


私には忘れられない光景があります。

2009年2月5日のことでした。
「道路迂回で調印」に向かう関さんの2人と合流した中下裕子弁護士のみなさんのうれしそうな姿と、中下さんの言葉。
「日本中で、こういう関係の活動中で、初めてのケースになるのではないでしょうか」

そうなんです。都市計画道路を曲げさせるなんてすごいことなんです。
その情報を日本中の人々が待っているのです。







皆さん 必読です

「空白の2ヶ月を明らかにする」---中村攻名誉教授の書簡---

これには我が目を疑いました。 何とも合点がいきません


私は何回も読み直し、やっと「知らされなかった事実」を理解できました。



上に掲載されている12月3日の「川井市長の関家を訪問」から、2月5日の「新設市道に関する基本合意まで」に起こったことが「知らされなかった事実」の中身です。



当時私たちは、仲間内の了解事項として「周りが騒ぐと、まとまるものもまとまらなくなる」との気遣いがありました。

トップ・シークレットの期間があったことは確かです。主に市との交渉に急転換が見られた2008年の12月から2月はじめまでで、それが「空白の2ヶ月」に当たります。

その間、一般に知らされない形で市長らと交渉を続けられた都市計画の専門家・中村攻先生がおられたこと。 そのキーパーソンが、2009年1月30日に「関さん・エコミュージアム・育む会・その他関係者の皆さん」宛に、読んでもらいたいと出された書簡とメモがあったことを、私はこの記事で初めて知りました。


何とも合点がいかないとは、こういうことです。
その書簡とメモをわざわざ押さえて機密扱いみたいにしていたとはおかしな話。
遅ればせながら2年後に公表とは。隠さなくてはいけない理由は何だったのか。




中村攻 千葉大学名誉教授


色々想像できる記事で、文面からはもっと何かあったかと想像は出来ますが、私に分かることはそこまでです。

不明なことは、第1第3日曜日の関さんの森見学日に、案内者に直接お聞き下さるのがいいと思います。








冒頭に「この会報、すごいです」と書いたのは----その心は

「空白の2ヶ月を明らかにする」を掲載した勇気を高く評価






会報29号 (2009年5月10日) に、「1月30日の書簡とメモ」に続くと思われるメッセージが掲載されています。引用します。



『活動のこれまでとこれから』・・・中村攻先生からのメッセージ

長く困難な道程を経て、地権者と市との間で道路計画についての基本合意が成立しました。ここに至る過程で関さん親子が払われた強い意志力と忍耐、育む会・エコミュージアムの皆さんの思いと努力に対して、心から感謝と敬意を表します。基本骨子の合意に関わった者として、皆さんのここまでの活動への感想とこれからへの期待を述べておきます。
活動をここまで成長させ基本合意にまでこぎつけた原動力を3つ程挙げたいと思います。

1つは、2.1haの当該地の持つ空間(資源)としての質の高さであります。大都市の中に残された里山空間として―――住居や蔵、庭や畑、それらを取り囲む豊かな屋敷林をほぼ原型で残すこの空間の素晴らしさが多くの人々の心を引き付けたと思います。

2つは、父親の代からご姉妹へと引き継がれた2代にわたる地権者の土地と地域社会に対する篤き思いであります。今日に至る過程には、想像を遥かに超える苦難の日々があったでしょう。でもその思いが多くの人々の心を打ちこの状況を切り開いてきたのは間違いありません。

3つは、地権者を中核にした育む会やエコミュージアムの人々の精力的な活動であります。署名活動は瞬く間に全国に広がり、心ある注目が全国から注がれるようになりました。この3つの力はどれが欠けても今日の状況は切り開かれなかったと思います。これからの活動でも、時々こうした点に立ち返り、前進することが必要かもしれません。

さて、これまでは都市計画道路という魔物に対する防戦的な活動でした。これからは里山空間を縦横に活用した環境学習・教育・体験の創造的な活動が中心です。人間と自然がどの様に共生してきたか、これからはどうするべきか、皆で考え新しい人間生活を作り出していく取り組みの空間を皆さんは手に入れたのです。その為にこそ魔物とも闘ってきたのです。その手始めに、この空間が過ってどの様に使われていたのかを、関さんから教わることをお勧めします。住居や蔵や庭や畑や屋敷林が、人間の生活にどんな役割を持ち、お互いにどんな関わりを持ちながらその位置に存在しているか。―――空間を読むといってもいいでしょう。そのことを学習しつつ、空間を修復再生していく―――楽しい活動が待っています。

貴重な資源としての里山空間、それを開発から守り続けてきた関家の人々、それらを励まし続けた会員の皆さん、有難う。そしてこれからも宜しく。


                    2009.5.5 千葉大学名誉教授 中村 攻









わたしゃ つられて ゆくわいな
=2011-02-02





子どもの広場のエノキが巨大クレーンで空高く運ばれます。
梅組の彼女が無事を祈っています。


今日は、松戸新市道にかかる3本の移植、2日目です。
昨日は22トンのケヤキと20トンのエノキ。今日は11トンのエノキが移植されました。

160トンまでつり上げることが出来る油圧大クレーン車が活躍しました。
これを広場に運び入れるために、一ヶ月前に警察から特別許可を取りました。
鉄板道路を敷きました。
大ごとでした。













プロジェクトの指揮者・(株)富士植木の山下得男さんの話

「移植後は樹皮が乾燥し、日焼けの害(樹皮の枯損、亀裂等)を受けやすいので、幹を布で巻いています。これを"幹巻き"と言います。
ケヤキ、エノキは街路樹に使われることが多く、自動車の排ガスには強いでしょう。
今回移植した3本の隣にある木々はそのまま残ります。伐採されることはありません」


見事な仕事ぶりでした。ご苦労様でした。






巨木移植もうすぐ=2011-01-28


クレーンで吊り上げての移植作業は、2月1日(火)と2日(水)です


パワーシャベルのところまで空中移動


重機(巨大クレーン)を運ぶための道路


今は臨時の鉄板道ですが、新市道はこんな感じになるのでしょうね


しんばんぐみ


森の泉 整備=2011-01-28

関さんの森の池の整備が終わりに近づいています。
仕上げは、周りに小石を敷き、砂をかぶせ、その上を子どもの森の土で固めます。
写真は土を運んでいるところです。

今日は、新市道建設で樹木の移植作業をしている「富士植木の方々が、ボランティアとして参加してくださいました。
造園のプロの皆さんありがとうございました。

エコミュージアム・木下会長が調べたところ、この池には1日に2トンほどの水か沸いているようです。
今の時季に2トンですから、立派な「泉」です。
ですから私はこの際、「池」とは呼ばないで「泉」にしました。
木下会長は、泉のわきにベンチを作りたい、と言っています。



環境庁のサイトには、千葉県の代表的な湧水として「幸谷熊ノ脇湧水<関さんの森>」が、リストに上がっています。
けれども、松戸市のホームページに掲載されている「親水マップ」には載っていません。


------このことは、関さんの森→活動の記録・(クリック)→「これが湧水池か」で、すでに紹介しています。

 



木登り名人がんばる?=2011-01-12



おや。巨木に登る人がいる。関さんの森仲間では、エコ・ミュージアム木下会長しかこんな芸当はできません。
木下さんかな?

いえいえ、そうではありません。富士植木の技術者が、子どもの広場にある移植樹の剪定をしているのです。






これだけの樹木ですとチェンソーが剪定ばさみの役割をします



3本の巨樹(ケヤキ1本エノキ2本)を、手前の印のところへクレーンで移植します。剪定はその準備です。
巨大なクレーンでの運搬は、どえらい見ものになりますよ!!!



ところで、何で、冒頭に木下会長の名前が出てきたかって?
彼はこの時、皆さんの作業確認後、一人で、黙々と梅林の剪定していたのです。
オー、グレイト!!  そういう人々が関さんの森を支えているのです。





空飛ぶ根っこ=2010-12-17



道路用地にあるオオシマザクラが仮移植のためにクレーンで運ばれて行きます。

富士植木の大径木移植コーディネーター・山下さんと立ち話。
最近彼女を見ませんね、名前は・・・ええっと・・・。ゆうかさん! なんて調子でしたので、気もそぞろ。
根っこの重さを聞いてもすぐ忘れてしまいました。多分、2トンか3トン。


梅の木はどんどん切られています。こういう姿を我がふるさと滋賀県では「ひこねさん」と言います。桜田門外の変でクビを落とされた井伊大老の姿に似ているからです。無残です。






誰もいない発掘現場=2010-12-08



フェンス横を小学生が通った そうだここは通学路







緑と道路 重大な 話し合い  =2010年11月30日

市が関さんと約束した緑地保全に関する覚書の内容は?




松戸市が「道づくり協議会案」を作り、その反応を聞きに来ました。
写真の左が関さん側、右が松戸市の面々です。

この「道づくり協議会」とは、昨年(2009年)2月5日に迂回道路基本合意書が交わされた時に、川井市長(当時)と関さんとの約束から生まれた話し合いの会のことです。
 「今まで道づくりは行政の仕事でしたが、これからは、行政と市民と地権者が一緒になって道をつくりましょう」

あの感動の日からすでに一年十ヶ月過ぎてしまっています。
23年度中に供用開始という締め切り時間を考えますと、話し合いの進み具合は遅すぎます。

23年度末までに道路を完成しなければなりません。市からは焦りの発言とともに変化が見られまして、今までは「道づくり担当」の方だけでしたが、「緑化担当」も加わりました。
これからは「緑化担当」が主に活動します、と市は強調しました。

「うん。いいじゃないの。一歩前進」----普通ならそう思うでしょう。


関美智子さんは、ちょっと違いました。
これが話し合いの最大のポイントでした。上の写真はその時の光景です。

 「私も後期高齢者。元気なうちに緑の保全を見届けたい。この緑を永久に残すための約束をして欲しい。市と緑地保全に関する合意が、協議会案から外れている」

えらいこと言わはりますな・・・・、皆さん、何のことか分かりますか。
私には分かりません。


ここで新道路建設について、おさらいをしてみましょう。
平成21年2月5日、道路用地についての基本合意を結びました。
平成21年9月10日、道路線形について合意。用地変更についての覚書を交換。この時の「覚書」は、市のホームページに公開されています。

平成22年3月30日、土地売買契約及び物件補償契約締結、寄附受入れ、緑地保全等に関する覚書締結。


先ほどの関美智子さん発言の問題点は、3月30日に交わされた「覚書」のことです。
これは緑に関しての大切な約束のようです。

けれども、この市と交わしたという「緑地保全に関する覚書」が市のホームページに書かれていないのです。
探してみましたが、やっぱり無い。

関さんの森を育む会ホームページには「2010年3月31日,道路用地の松戸市への引き渡しを終えました」とだけ記述。

おっとっと。これはいかん。

「道づくり協議会案」の発表は後で良いとしても、「緑地保全に関する覚書」は公開せにゃー。
そればかりじゃない。松戸市の新市道なのに道路計画図の縦覧もされなかった。おかしいなー、どうしてなんだろうと、私は思っていました。

今日分かったのですが、この覚書の一字一句に関美智子さんと啓子さん、そして亡くなられた父・武夫さんと妹・睦美さんの緑に込める心が示されているようです。

道が出来たとしても、緑が守れなくては、いかんのです。


今日の話し合いは、大切な内容を含んでいます。私自身、これで良いだろうか、考え直しながら、書いては訂正を重ねました。          (2010-12-07改訂)

それはそうと、市役所「緑化担当」の方々、がんばって下さい。





遅すぎた公表 新道路図 覚書はまだ

ちょっと昔の 大事な話 2010年5月記す


2010年5月になって、松戸市のホーページに『 松戸都市計画道路3・3・7号横須賀紙敷線(幸谷区間)に係る新設市道用地取得の契約締結等について』が掲載され、やっと新道路図が発表されました。

この道路図は2009年09月10日の『松戸都市計画道路3・3・7号横須賀紙敷線(幸谷区間)に関する基本合意書」に基づく新設市道に関する覚書の締結』の場で発表されたのですが、まだ公安委員会の了解が得られていないという理由で一般発表が押さえられていました。
その後、9月の市議会定例会で道路認定が可決されました。正式に認められたのですが、この時点でも道路線形が市民には発表されませんでした。

ちょっと考えてみましょう。市民にどんな道路が出来るのか知らせることなく、市議会で可決したとはおかしくありませんか。新道路の線形は市民に知らせるのがあたりまえ。この情報公開の時代に逆行する行為です。議員の意識は“どうどうなっとるんじゃ”と腹が立ちます。

平成22年3月30日に「寄附を含め用地取得の契約及び覚書」が締結され、用地は市に移りました。

この時点でもすぐに公表されることなく、私がこの情報が松戸市のホームページに載っているのに気付いたのは、5月3日でした。

結局、新道路図が市民に知らされたのは市議会で可決後、7ヶ月遅れの5月になってからでした。




松戸市のホームページを開いてみて下さい。 この道路図はどこに載っているかなかなか分からないと思います。

ホーム > くらしの情報 > 生活環境 > 道路・交通 > 道路情報 > 都市計画道路整備等 >
都市計画道路3・3・7号(幸谷・二ツ木区間)の早期開通を目指します

にたどり着きます。  アドレスは


http://www.city.matsudo.chiba.jp/index/kurashi/seikatsukankyou/douro/
jyouhou/toshikeikakudouro/3-3-7_souki.html#keiyakuteiketu





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調査が終わって 埋め戻しのところも=11月30日




青いフェンスと家屋部分に新松戸市道(迂回道路)が通ります 
写真の家屋は壊すか移転 




幸谷城遺跡北側の道路用地(新松戸側 信号機のあるあたり)は「熊野脇遺跡」の一部で 縄文前期(7000年前)の土器が出土しています

手前の土地が中央家屋の移転用地






これは同現場 9月18日の様子です





幸谷城跡発掘調査見学会=2010年9月18日


画面の左半分は地表がたたき固められた平坦面で「道路状遺構」と言います







この遺構、遺物は16世紀真ん中の中世戦国時代から江戸初期のもの 松戸の歴史記録の空白部分を埋める発掘現場という説明でした




すり鉢


かわらけ


古銭



この鉄砲玉は時代を特定できない地層(道路状遺構のわき)から出てきたもので直径約7ミリ 松戸市内の鉄砲玉は 小金城趾で発見された一つがあるだけで たいへん珍しいものという説明でした
ちなみに下の写真・銀の亀の甲羅を着ている右の人が発見者




案内していた発掘作業員さん 皆さんはこの姿で暑さに耐えたのでした
なお この銀亀甲羅スタイルは 鳥取県のらっきょ農家のスタイルを参考に自作したのだそうで 面白いですね



ここは子どもの野球やお年寄りのゲートボールの場として親しまれた所 市が関さんから無償で借りていた広場でした






遺跡調査始まる=2010年7月15日







道路用地=子どもの広場=遺跡調査始まる





幸谷城関係埋蔵物調査を待つ道路用地=6月28日










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