道路問題さんについて
         

バックの音声は 2009年2月28日「関さんの森・スライド&トーク」での関美智子さんのあいさつ
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関美智子さん 森を語る


都市計画道路を曲げる-----日本で初めてのケース
 

 再スタート


2009年2月28日「関さんの森・スライド&トーク」でのあいさつ

流通経済大学新松戸キャンパスで(関さんの森エコミュージアム主催)


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(ボイスレコーダーのそばで撮影したため、シャッター音がうるさく入りました)





迂回道路合意 調印=2月5日





「甲」は松戸市。「乙ら」は、関美智子さんと啓子さんを指す。






2009年2月8日撮影の写真に新設市道策定の基本線形を重ねたものです

※ 写真上にカーソルをのせると道路線は消えます 試して下さい










2009年2月5日のこと

「空白の2ヶ月」 実は「超」熱い時期だった

2月5日付け朝日新聞ちば首都圏版の「関さんの森 道路迂回で合意」は衝撃的でした。記事は、5日午後基本合意文書の調印式がある、と書いてありました。

これは昨年12月14日「松戸よみうり(第685号)」
の「道路問題 話し合いで解決へ。関さんと市長が会談」以来久しぶりの濃い内容でした。

私たちは仲間内の了解事項として「周りが騒ぐと、まとまるものもまとまらなくなる」との気遣いもありまして、今回はあまりタッチはしませんでしたが、関さんは自然を忘れた道路つくりに気をもんでいるとも聞いていましたので、この記事には驚きました。


5日午後早めに関さんの家に伺うと、関さんお二人が出かけようとするところでした。
市役所で合意文書の調印式が行われるとのこと。同行させて下さいというと、どうぞどうぞということになりました。
「電車に乗って行きます」という二人の様子は、昔風に言えばちょっとお芝居見物になんてノリのようにも見えました。

お父さんの代から45年もかかった道路問題の調印式に、市が迎えの車を出さないのは、何となく気がきかないというか、調子外れの気がしないではありませんが、そんなことを全く気にしない関さんの大らかさにかえって感心しました。

二人は本当にうれしそうでした。

美智子さんによく聞いてみると、「昨日は合意文書の作成に市長さんが自ら陣頭指揮をとって下さった、あの熱意には本当に感謝している、すばらしい方です」という返事。

関さんは悩んでいると聞いていたので、この返事は意外でした。
どうやら、川井市長の意気込みと関さんの気持ちがこういう結果になったようです。駅前で中下裕子弁護士さんと合流して市役所へ向かいましたが、中下さんは昨夜ぎりぎりまで細部の対立点解消までがんばって下さったようで、明るい表情で確かこんなことを言っていました。

「日本中で、こういう関係の活動の中で、初めてのケースになるのではないでしょうか」




関さん 今日は電車に乗って=2月5日


二人とも風邪を引いて疲れ気味 でもうれしいことが



今日は市長さんと迂回道路合意の調印です


電車の中で啓子さんに聞きました 
「今日はお父さんが使っていた万年筆とか 思い出のものでサインをするのですか」  
「いいえ いつもの労働用のボールペンで」
少しおいて 姉の美智子さんが言いました
「帰ってから父に報告します」

妹らしい妹 姉らしい姉 楽しいきょうだいですね  そうそう ひとつ言い忘れていることが----美智子さんは川井市長を「すばらしい方だ」と思ったようです

「男気(おとこぎ)のある人物」そんな風に感じているなと私には聞こえました





都市計画道路ではなく、松戸市道として関さんの屋敷を迂回した道路を作ることで合意



川井敏久市長
『 今日、合意書にサインをしてほっとしている。関さんには一歩も二歩もお譲りいただいた。都市計画道路としては困難なので、松戸市道として新しい道を作る。
今後もさまざまな問題が起きるかもしれないが、関さんと十分な信頼関係を構築して新しい道づくりを推進していきたい。

(屋敷部分の道路計画は)これによって実質的には凍結されるという意味だ 』



関美智子さん
『 本当に長い道のりでした。今回、合意ができてうれしい。
森をありのままの姿で残したいというのが私たちの願いです。森と共生共存できる道づくりをしたい。
今まで、道づくりは行政の仕事であったが、これから、行政と市民と地権者が一緒になって楽しい道づくりをして、自然を残し、未来の子どもたちにプレゼントできたら、こんな良いことはありません 』



関啓子さん
『 私たちの願いは里山を残したいということ。話し合い、譲歩に譲歩を重ねてなんとかここまで。小さいながらひとかたまりの里山が残せたと思います。
支援者の方、マスコミの方のおかげでありますし、市長さんの熱意が大きい。会う度に信頼が増し、松戸の原風景を残したいという気持ち、松戸に対する愛情を感じました 』










良かったですね



記者魂


関さんと川井市長を引き合わせた「松戸よみうり」の戸田照朗記者(右)
式後 市長は「戸田さんのおかげ」と感謝の言葉を繰り返していました



3月議会における松戸市長の言葉=2月23日

平成21年度施政方針


【都市計画道路3・3・7号の早期開通に向けた取り組み】


 都市計画道路3・3・7号横須賀紙敷線、幸谷・二ツ木区間は、19年12月定例会において「早期開通に関する決議」もなされるなど、本市における重要な路線であることから、20年8月には土地収用法に基づき立入調査を実施したところであります。
 しかし、その後、地権者側から何度か都市計画道路変更案が提示され、検討を重ね本市からも可能な限りの都市計画道路変更案を提示し、協議を重ねてきたところでございます。しかし、双方の要件を満足する都市計画道路の変更は難しいとの結論に達しました。そのような中、地権者から都市計画道路としての変更が難しいのであれば、暫定的な道路建設はどうかとの提案を受けました。
 私といたしましても地権者のご心情を考慮しますと、土地収用法の適用は、極力避けたいと思っておりました。また、以前地権者宅を訪問した際、地権者宅には松戸の原風景が残っており、本市にとっても残す価値があると思い、私の方から地権者宅を迂回する暫定道路案を提示した経緯があります。今回は、双方の歩み寄りにより、暫定的に松戸市道計画を策定すべく、基本合意書を取り交わしたところであります。今後は、この新設市道の早期建設を実現し、地元をはじめとする早期開通の要望に応えたいと考えております。






一所懸命


合意文書調印のスクープ記事に、ケンポナシが樹齢100年と載ったら、某紙某放送局はどうやら孫引きで、樹齢100年と紹介。
間違えるのは良くない、が、人間だから間違えます。続報でも「長屋門」と間違っていました。関家には長屋門はありません。本当の名前は「薬医門」です。
そんなことよりも孫引きをして間違った情報を流すことは、もっと恥ずかしいことです。
さすが「松戸よみうり」はケンポナシの樹齢を正解の200年以上と紹介しています。

この樹木は伝えによると、225年前に関家の先祖がこの地に家を構えてからのもので、いわば関家代々の分身のようなもの。
関さんの気持ちとしては、もう枯れそうだから切ってしまうなんてとんでもない。ですから道路のために移植するのは、これこそ「苦渋」の選択なのです。


ついでにもうひとつ。屋敷ぎりぎりのところに樹齢106年のソメイヨシノがあります。これは関美智子さんのお母さんが生まれた日に植えられたものです。

先日、ケンポナシの診断に来られた日本緑化センターの吉田義隆・樹木医によると、このサクラも大変貴重です。

日本最古のソメイヨシノは 弘前城にあるもので、確か樹齢は120年ほど。これは弘前という地はリンゴの栽培が盛んでその剪定技術がなせる技です。何もしないでよくもまあ残ったものだという話でした。
道路がサクラのそばを通るとかなりの枝を切らなくてはなりません。樹木の根っこは枝の先の部分まで地中に広がっています。ですからこれも実は心配事なのです。


200歳のケンポナシが関家代々の分身なら、106歳のソメイヨシノは関美智子さん始め女性陣の分身です。


おまけにもうひとつ。
関さんは、道路は生け垣の外をと言っていました。
「エゴ」ではないかと思われがちです。
この点を関さんは大変気にしていました。


ご先祖は名主といえども、関さんの言葉を借りると「ちょっと大きめのお百姓さんです」。
ここは元々は「コウヤ」と呼ばれ、「荒谷」という字があてがわれた荒れ地だったところを開墾して「幸谷」にしました。それぞれの時代を「一所懸命」生きてきたのです。こういう生き方が血の中にあり、関さんの家族には、地質学の専門家だったお父さんの時代から、自然の中で遊べない子どもはかわいそうだ、自然を未来の子どもたちに遺したいという「家訓」のようなものがありました。
一見何ともないように見える風景が大切で、いじらずそのままにしてきました。
文化財という場合、まず一番には建物などの「もの}を考えると思いますが、家の風景つまり生け垣内の配置という空間が大切な「歴史的文化財」なのです。

普通なら、今の時代なら、とっくに宅地化されてしまっていたでしょう。
ですから、歴史空間に巡らされた昔からの生け垣を残すことには重い意味があるのです。

聞くところによりますと、川井敏久市長のご先祖は三河武士。家康の時代に江戸へ、その後松戸に来られたとか。ですから関さんも川井さんも、ともに根っからの松戸人です。
関さんの思いは十分お分かりで、この度の「松戸の原風景を残したい」という気持ちになられたのでは。



続きは「緑地保全に関する覚書」活動の記録-R ←クリック








関さんの森について



関武夫氏が「今の子どもは自然がなくて可哀想だ。泥だらけになって遊べる場所を」と開放していた屋敷林約1万平方メートルを、氏の没後、娘さん達が埼玉県生態系協会に寄付して関さんの森を作った。
森を管理するために、関さんのむすめさん達と地元の人達が「関さんの森を育む会」を作り、保護に努力するとともに色々な行事を行っている。(当初、関さんは千葉県に寄付を申し入れたが、千葉県には寄付により相続税を減免出来る団体がなかった。)


        (わがまちブック 松戸1---まちづくりNPOセレガ 2006年発行---より抜粋引用)





森と道路(トンネル案)について



1962年(昭和37)松戸市都市計画事業で、関さんの屋敷林に道路が通ることになりました。
1976年(昭和51)3700人の署名を集め、道路を森の地下を通す陳情がなされて、市議会で可決されましたが、法的拘束力がないまま、1986年に継続審議に。
その地下道路案をもとに、開発技術センターによって上の図面が1988年(昭和63)に作られました。これは松戸市公文書として残っています。

       
  (2008年3月30日「第1回みどりと生きるまちづくりフェスタ」での道路問題報告と展示より)

このトンネル案は関武夫氏(1994年没)の希望でしたが、今では立ち消えになっています。


関さんの森には二つの解釈があります



緑色の部分は、関家が埼玉県生態系協会に寄付した屋敷林で、一般に呼ばれている「関さんの森」。
黄色の部分が関家の庭、梅林、グランド。
その両方が本来の意味の「関さんの森」であると「関さんの森を育む会」の人達は考えています。その理由は、子供達の自然観察などは屋敷林よりも関家の庭や梅林で行われることが多く、この両方を保護してこそ価値があると主張しています。

どちらが正当な考えか。どうぞ現地へ行って、あなた自身の目で確かめてください。


なお、
青線は都市計画道路。
赤線は関家が提案した代替案ですがこれは不採用になりました
(この線は大体の表示であるとご理解ください)






2008年9月に発表された「関さんの森道路案」





千葉大学園芸学部の中島敏博、木下勇の両先生と学生さんによって作られた
関さんの森道路案の模型 (2008年9月17日)







私にとっての「関さんの森」はこうでした

埼玉県の三郷から江戸川に架かる流山橋を渡って水戸街道に出ようとすると、JR武蔵野線のガードをくぐった先で、道が「とうせんぼ」になっています。
私は自動車の運転が出来ないものですから、そこから水戸街道に出る道をなかなか覚えられませんでした。
早くこの道が水戸街道に通じればいいのに、と実は思っていました。
そこに、あの「関さんの森」があるとは、長い間知りませんでした。  (大北 寛)

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私が「関さんの森」を撮り始めた頃の様子 2008年3月31日 撮影




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