活動の記録 2009年
 

ブラスバンドカーニバルから=2009年4月5日





充実したクラブ活動は人生の「勲章」



1年生の冬
2年生の秋
もうすぐ3年生


私が柏市立柏高校に通っていた2年ほどの間で、貴重だと思った人物が、この青年です。
何のことか、お分かりにならないだろうと思います。

「楽器がうまくなることを外してクラブ活動を見たら何が残るだろうか」というとんでもない見方を、実は私はしていました。
これは、吹奏楽部「こころのしおり」の最初に書かれている考え方と同じ観点です。

「皆さんは演奏家ではありません。この部は、ただ趣味の合った人たちの集まりでもなければ、専門家になるための養成所でもありません。・・・(途中大幅に略)・・・この部を最後までやって卒業できたなら、その後の人生の中できっと役に立つ何かがあるでしょう。(中略)顧問もがんばります」の前半部分のことです。



イチカシと言えば、東葛地方の、いや東日本における吹奏楽の頂点にあると言ってよいでしょう。
本当なら日本一と言いたいところですが、関西には「淀工」というもっと歴史の古い高校吹奏楽部があって、この2校が競い合っています。

2008年3月、全日本高等学校選抜吹奏楽大会には「淀川工科高校」も「市立柏高校」も出場しました。
舞台を見ての私の感想文の中で、「淀川工科高校」の部分を再掲載します。

指揮者の丸谷昭夫先生はおしゃべりをしながら演奏を進めました。
「こいつら」
先生は生徒をそう呼びました。
「クラリネットのパートなんかは8割が初心者です。中学時代はサッカー、野球、そして何もやっていないとか。今でもピーなんて(失敗を)しょっちゅうやりよる」
「初心者は手を挙げてみー」で大勢が手を挙げました 。


吹奏楽部員は市柏をしのぐ232人の、この工科高校に音楽の授業はありません。
部活をレポートしたDVDを見ると、上級生が教えるようです。
丸谷先生のレッスンでは、音出しよりもお話の時間が多いとか。それも、なぜそういうことになるのかと物事の根本を考えさせ、自主性を育てる内容が多いように見えます。

音楽の授業のない学校の部活が日本の吹奏楽をリードしているのですからね。
私は信じられませんでした。これがイチカシとの一番の違いです。すごいと思います。
進学・就職先を見ると音楽関係はほとんどありません。
誰か一念発起して、音楽の道を志願すれば面白いのに。今までにないタイプの音楽家、曲が生まれるかもしれません。

何故かといいますと。新しい音楽を生むことと音楽学校は関係ありません。
この逆説めいた言い方は、実は真理なのです。ですから、芸術の世界ではどこそこ大学首席卒業なんて何の価値もありません。
私の経験で言いますと、写真学校を卒業した人は、まあまあ写真は撮れるようになります。それ以上のとんでもなく魅力ある写真を撮るには、写真学校に行ってはいけません。
決め手は本人の嗅覚(視覚ではありません)と、しつこさだけです。


さて、話を本題に戻します。

いました、いましたイチカシにも。
「淀工」
のように、全く初心者でブラバンに入った生徒さんが一人いました。
それが写真の青年で、私が貴重だと思った人物です。

中学ではテニスをやっていたと言いました。
本当なら入学した日から一応楽器が吹けるようになるまでを、付かず離れずに観察したかったのですが、私がイチカシに来た時、すでに1年生の終わりの時期でした。
次の年の新入生に初心者はいないかと探しましたが、残念ながらみんな経験者でした。




2年生の夏



彼は清々しい生徒でした。
話しかけると、こちらの目を見て答えてくれました。
当たり前のようですが、これが出来ない生徒が少なからずいます。
こういうことはしょっちゅう付き合っていないと実は分かりませんし、極論すれば、生徒さんの目の変化を観察しているだけなのです。
私の撮った写真で、何かが少しは伝わっていると思いますが、いかがですか。



2年生の時でしたか、どういう道に進むのか、と聞きました。
「理科系の学部でコンピュータ関係の勉強をしたいと思います」

私の経験からこんな助言をしたかもしれません。「大学で勉強するならなるべく広い分野を学んだ方がいいよ。専門のことは社会に出てから十分学べるから」

3年生になって、夏休み前に様子を聞きました。
「どうだ気持ちは変わらないか。うまく行っているか」

「決めました。大丈夫だと思います」



    どうしているかな、彼・・・・・・。






 






2年生になった「アニー」さん

 

二人のアニー


 




左は歌の上手な1年生、愛称「アニー」さんが初めて学校外の舞台に立ったときの顔で、去年の6月。
歌ったのは「TOMMOROW」。その歌のイチカシ初演の話をしよう。


彼女の3年上の「瞳」さんが初代の「アニー」で、一昨年の4月末、ニッカウヰスキー柏工場が初舞台だった。



石田先生がドングリまなこで気合いを入れている。
これには理由があって、先生の言うことには、ミュージカル「アニー」の主題歌「TOMMOROW」を演奏したくて楽譜が出版されるのを待っていたのだが、やっとこさ出て、それがんばれという訳だ。

練習の時間もあまりなく、瞳さんには無理を言ったらしい。
この時は特に力が入っていた。先生は興奮し、生徒の方が冷静に見える。なんだか面白いね。


この「瞳」さん、よく頑張る人でね。いつぞや音楽室で泣いていたんだ。何で、と聞いたら楽器が思うように吹けなくて、悔しくて涙が出たんだ、と言っていた。

踊りもうまくて、後輩曰く「エロかっこいい」------ぴったりの表現だ。


       







イチカシ流「臥薪嘗胆」

       

2007年8月24日







〜Where has the flower gone


   

野に咲く花は どこへ行った  野に咲く花は 清らか

可愛い乙女は どこへ行った  可愛い乙女は 微笑む


 







イチカシ・ジェンヌ


イケナイ太陽
アリラン

2007年6月、柏塾開催の日、普段のイチカシには現れないような感じの人がやってきた。70歳近い男の人だった。
「後援会に入りたいのだけれど」
街中の演奏会で時々見た人だった。私は念のために聞いた。
「どうして会員になりたいのですか」
「この間、真ん中で踊っていた彼女がすばらしくてね」

どの生徒さんのことか、私にはすぐ分かった。
たまたま近くにいたものだから、呼んできた。
彼女に事情を話して“ご対面”。
二人は互いに見つめ合って、ほほえんだ。と言いたいところだが、プッと吹き出したのが本当だ。

この彼女、激しいダンスも出来る。が、彼女の魅力はちょっと違う。
ある時は清純派、ある時はヤンチャ娘に。この落差が魅力。

卒業以来、彼女とは会ってはいないが、美容師になりたいと言っていた。












ダンスは体力勝負

2006年12月、第24回チャリティー・コンサートのリハーサルのこと。一番の見せ場のダンスで、石田先生は何度も何度もダメを出された。
注文があまりにも厳しく、へとへとになった生徒の姿に私は心配した。
そんな状況で、メインダンサーは笑顔でがんばり続けた。彼女の姿がみんなを引っ張ったのだ。
イチカシは皆さん頑張り屋さんだが、彼女ほど強靱なダンサーをこれ以後も見たことがない。

何だってそうですが、特にダンスは振りのうまい下手ではない。演技者の中に溢れ出るようなエネルギーがあってこそ、見る方も納得するのだ。









どうしてこんなに女の子が多いのだろう。それでいて、「部長は男子」という決まりがある。誰も不思議と思わないようだ。不思議だ。

首回し役は大変だ。首の骨がおかしくなるのではないか。頭がポカンとなってしまうのではないか。よく頑張れるなあと、いつも感心している。


この写真の3人の姿を見ていて、日本人というよりも高麗人を連想した。一般的な日本人よりすらりとしている。どこかで見た姿だと思ったら高松塚古墳の飛鳥美人図だった。改めて高松塚の写真と比べると、イチカシの方が美人だ。


「イチカシと言えばアリラン」といわれるほど有名になった。往々にしてアメリカのまねばかりのマーチングの中で、アジアを意識した演技はイチカシが最初だからだ。そのことを新3年生諸君は知っていますか。

もう一度言います。
「高いオリジナリティー アジアにつながる音楽 吹奏楽の明日の姿を見た」
これがイチカシ・アリランに寄せられた賛辞です。

ところで2年前の卒業生のお母さん手作りの衣装を今でも着ているのかな。









「ポーニョ ポニョ ポニョ」----このイメージの歌は「たらこ」「おしりかじり虫」とイチカシかわいこちゃん路線に受け継がれているようだ。幼稚園生くらいの少女に返ったつもりで、全身プリプリさせながら一生懸命歌っていてかわいい。男子は立派な青年に見える。
左手の彼女は1年生時の初舞台で緑川先生から「絶対音感の持ち主」と紹介された記憶がある。いちどその本格的歌唱力を披露してもらいたい。








トランペットのメンバーは、自分たちを「ラッパ隊」と言う。ラッパと言えば進軍ラッパ。この連中少々戦闘的で、ホルンやユーフォの雰囲気とは違うようだ。

2年前の平成19年10月13日、全日本吹奏楽連盟主催の「マーチグコンテスト」東関東大会に、市立柏高校は1・2年生105人の大編成で挑戦した。
全国大会に進めるのは、出場8校のうち2校だけ。

代表校発表で、市柏の名前が2番目に呼ばれた。滑り込みセーフである。
観客席にいた緑川先生は「ウー」と言ったか「オー」と叫んだかしっかり聞こえなかったが、声にならぬ声をあげ、拳を握りしめ、「やった!」。

表彰式を終えた生徒に、先生は飛びつき抱きつき、エンエン泣いた。

帰りのバスの前で、今度は生徒が次々と先生に抱きついてきた。
最初に抱きついたのは当時の2年生のトランペットの女子。突進してきて胸に顔をうずめた。先生は「ヒエー」という顔に。






先輩に続けと1年生も抱きついてきた。不思議とみんなラッパ隊だった。
ネクタイ掴んで叫ぶ者あり。「先生、マーチングやってて良かったです」

「ガハハ」という顔になった「ミドリ」。本人実は元イチカシラッパ隊。

この度、新採用で市川南高校に。
4月10日、離任式があると聞く。
泣くぞ きっと
泣け泣け「ミドリ」
泣け泣けラッパ隊





「緑川先生の指揮」へ






毎朝5時の一番電車で通っている子  戦後最大の台風の愛称の子 「きついのでガードは止めます」と言っていたのに「まだやってます」とニコッとした笑顔がかわいい子   懐かしい顔が並ぶ トロンボーンには素直な子が多い  ユーフォもみんな素直







去年までの今日は「ときわ台桜まつり」--28年続いた。今年はおおたかの森駅前だ。





イチカシブラバンの新入部員にとってのあこがれは「テキーラ」と叫ぶこと。
ちょうど2年前、新入生に聞いた。「テキーラって何?」
殆どの子は「さあ?」。 
意味が分からなかったのだ。まさかメキシコの酒の名前と思わなかったのでは。 
みんなあの時の顔はかわいらしかった---その連中が3年生になった。
 


2年前のみんなの顔



2007年3月20日 入学前に高橋裕司先生から部活の説明を受ける





カラーガードの主役は男子=4月5日


今年も去

「毎日必死に頑張ってます」そんなメールをくれた彼。
ガードの主役をやっていたなんて知らなかった。カラーカードといえば女子がやるものと思っていただけに、びっくりした。

 
そういえば、平成19年11月11日の「全日本高等学校吹奏楽大会 in 横浜」で、「優勝・グランプリ・横浜市長賞・イトーシンミュージック賞」と考えられないほどの賞をもらった時のこと。
前日の練習で、「かっぽれねぶた」の黒ずくめの衣装について石田先生は「異様な集団と見られたら大成功」と言ってみんなを励ましたことがあった。

常識にとらわれないこと---これは大切であるが、実行するのは大変だ。
彼の経験は将来大いに役立つ。そこに部活の真髄がある---と思った。
よくやる。立派なモンだ。
 
(おおたかの森駅前 ブラスバンドカーニバルで
















この中に「関さんの森 がんばって下さい」と励ましてくれた彼女がいる

せきさん






ああ残念 さくらまつりパレードは もうないかも


これは去年


これは おととし

ときわ台桜まつりに 市柏ブラバンは毎年出演していました 
この街頭演奏会は なかなか味がありました 昨年で28回目でした 今年も!と楽しみにしていましたが 祭りが中止になりました 商店会の方に確認してみましたら 来年もどうなるか未定だという話でした 
誠に残念 祭りが始まって以来 市柏ブラバンは ずーと出ていました
 
 さ



羽ばたく二人の先生=2009年3月



柏市立柏高校吹奏楽部顧問の緑川裕、高橋裕司両先生は柏市立柏高校を去られることになりました。
緑川先生は千葉県の教員試験に合格、高橋先生は首都公務員試験に合格。ともに難関突破でした。

市柏校歌にある如く、「跳べ!走れ!」。
お二人の雄飛に期待し、心からのお祝いを申し上げます。
 








小学校時代の修ちゃん=2009年2月



石田先生の小学校(九州)時代の同級生からメールをいただきました。

「私の思い出の中では、修ちゃんと指揮者とは抵抗なく結びつくものがあります。先日このサイトに出くわし、『おぉぉぉ』という言葉が出た次第です。
学校の休み時間に、"○○○○になりきって指揮者していた"思い出の場面と、40数年を経て目の前に現れた映像の表情とが一致しました」

さてここでクイズ。○○○○は誰のことでしょう。

ご本人は「俺はIshidaだ。○○○○ではない」と言われるでしょう。
まさにその通り。
子ども時代の志を貫徹。今の世の中、こういう人間なかなかいない。

ところで市柏ブラバン卒業生の皆さん。
どうぞ何かの時に、この先生のオリジナリティー溢れる発想とそれをやり遂げるしつこさを思い出し、人生の指針として欲しいと思います。
私の考えでは「人間。どこまで踏ん張れるかで決まる」。








活動の記録 2009年
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