ここは最新の撮影ノート(2006年以後)です

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ジャンプ移動 MAC の safariでは
うまく動かないようです 理由は不明
         
手賀沼花火 2010
送り大師 2010
     
柏市箕輪で津久舞が 巴水手賀沼と筑波山 「八十八物語」感想 八十八」の白足袋 アラーキー 2010
ノーベル賞 2009 送り大師 2009 感動メール2009   ハンカチノキ 2008
舞台マナー 2008 アメリカン・グラフィティ オーディション 2007  

 


手賀沼花火
再開


2010-08-07




手前は「手賀沼の小池」桟橋 多重露光で撮影


 


送り大師

の話題-1


柏市箕輪で
津久舞が
奉納されて
いた

2010年05月05日



202回目の送り大師が終わりました。今年の結願は箕輪・五条谷地区の如意寺でした。

この寺には普段はお坊様が居られないので、今年のように結願でない限り、送り大師の時に本堂の中は覗けないようです。

この寺には「津久舞の絵馬」が保存されていて、この地で津久舞が行われていたことが分かるのです。

寄進したのは「高城初太郎」とあります。私の写真仲間・高城輝雄さんのおじいさんで、高城さんは「お前のじいさんが寄進したものだ」とよく言われたと話してくれました。

これは箕輪字道堀にあった大日堂に飾られていましたが、土地整備でお堂はなくなりました。
それで、如意寺に預けられたという訳です。

この写真を撮っていたら、こんなことを教えてくれた人がいました。
 「10月16日に“道堀(どうぼり)祭り”があって、津久舞が奉納された。自分の子どもの頃だったので覚えてはいないけれど、親からそんな話を聞いたことがある。戦前のことだけれど・・・」  


なお、津久舞について詳しく書かれた「つく舞考 古谷津 順郎 著 2002年4月刊 」には、箕輪大日堂の津久舞の記述はありません。

 




これが「大日堂」にあった「大日如来」。この仏様も津久舞の絵馬も如意寺に保管されています。


大日如来像の由来
---沼南町史(昭和54年発行)より


現在、如意寺の本堂内には大日如来の大坐像(坐高100センチ)が安置される。この尊像は、かつて当地区字道堀の大日堂の本尊であったが、昭和32年3月、大日堂所有者の道堀嘉平氏が箕輪地区に寄進し、これを如意寺に安置したものである。尊像の由緒は、道堀家の古文書類によって知られる。

近世初期の延宝6(1678)年8月8日、洪水で大日堂の裏谷津にこの尊像が流れ着き、奥州講や大日宮の氏子などによって大日宮に祀られた。(中略)

尊像奉紀の後は、その霊験あらたかによって近郷から参詣の信者が多く、ことに正徳3(1713)年から行われた10月16日の例祭(大日祭り)には、善男善女雲集して盛大であった。(中略)

明治初年の廃仏埼毀釈(きしゃく)の際に、当寺の宮司は如来像を堂宇の縁の下に隠した。大日祭りは依然として続けられたが、大正初期頃から衰退してしまった。その後、尊像の存在はまったく忘れ去られていたが、昭和29年9月、茸狩りに来た東京墨田の陰山氏などが、埋もれている如来像を発見して修復し、10月16日ふたたび大日堂に祀られて金色の光を放つこととなった。その後まもなく、尊像は如意寺に移転されることとなったのである。

(津久舞の絵馬についての記述はありませんでした)





如意寺 結願の行事を終えて





202回目
送り大師
の話題-2


大師様
大写し
2010年5月4日



でえし(大師)さまの顔



人々に背負われて、村から村へとお回りになる大師様です

=戸張正光院で





送り大師

の話題-3


巴水の手賀沼と
筑波山

2010年05月01日



巴水の手賀沼に新事実=2010年05月01日




平成22年の「送り大師」に参加しました。

私の密かな試みは、あの「巴水の手賀沼」の場所で送り大師の皆さんの様子を写すことでした。

写真を見て下さい。うまく行きました。一行は墓地の中を進みます。
柏市手賀にお住まいの篠原喜世雄さんの話では、手前墓地は昔は広い畑でした。


さて、今日はそういうこと以上にもっと大きな収穫が・・・・。
遙か彼方、空の下に山が写っています。原画では“うっすら”でしたがデジタル処理で強調しました。

地図で確認すると、筑波山でした。ヤッタ!!

ここは筑波山を見るグッド・ポイントだったのです。
巴水は誰かに「ここが良いよ」と教えられたのかもしれませんね。


杉村楚人冠の俳句を紹介します。

「筑波見ゆ 冬晴れの 洪いなる空に」







巴水の手賀沼 
クリックすると巴水の手賀沼解説の入り口に跳びます







送り大師 2009年に 跳ぶ
(クリック)







松戸馬橋高
神隠し「八十八ものがたり」

2010年3月16日
倉敷市芸文館での最終ステージを見て


神隠し「八十八ものがたり」を見て

神隠し「八十八ものがたり」は、地区大会、県大会、関東大会、春季高校演劇研究会(倉敷大会)ごとに構成・土田峰人先生によって書き直され、その度にシャープになって行ったと思います。

芝居の大詰めで大奥様を先頭に下男たちが大川に飛び込むところは、書き換えられませんでした。

大奥様
「で、どうするんだば八十八。ここさ入ればいいんだな。みんな、わしの事ば思い切り投げ込んでもらうべ」

下男達は大奥様をかつぎあげると、大川へ投げ込む
「ドボーン」
   間

下男達
「いつまでも上がってこねえ」

八十八
「やっぱりな」

下男達
「あれっ、ひょっとして・・・」

八十八
「大奥様、一人じめする気がもわがらねえな。なにしろあれだけの宝物だすべ」

下男達、我先にと次々と飛び込んでいく

八十八
「あははあ」



この場面は、知恵者・八十八の独壇場です。
ちょっと毒気のあるしたたかさは、観客とも騙し合いをしているようでした。

八十八の最後のセリフ、「あははあ」。
それは自分を虐げていた人達をあざける笑いでした。



公開リハーサルより

2月28日(日)、春季全国大会に向けての公開リハーサルでは、八十八役の3年生の演技が冴えていました。私はこの時、この場面の意味の重みを感じました。

この伏線として、倉敷大会の改訂版第4稿では冒頭で、“下下人間”として扱われた一人の娘と村人達とのこんなやりとりが付け加えられています。

「うちにはもう何もありません」

「 川下が・・・」

「川下が」の前に、「あたりまえだ。着ているもん差し出せ。内蔵でも売れ」が台本にあったのですが、舞台では省かれました。


ここで重要なのは「川下(かわしも)」という言葉です。

この言葉によって明確になったのは「差別」です。八十八という差別された人間の下に、この娘が存在していたのかも。

神隠し「八十八ものがたり」 は遠野の民話でなく、一揆の話でもなく、「差別」がテーマである・・・。

ここが土田先生の鋭いところだ思いました。


「聴耳草紙」


さて、「八十八という人物」は佐々木喜善の著作「聴耳草紙」の39番「馬喰八十八」などが原本です。
民話の中では、八十八とやり合ったのは大奥様ではなくて、旦那様。ですから川に飛び込んだのは旦那様です。

「旦那様は竜宮さ行って、二度と家さ還らないから、俺の家も女房も八十八さくれると言いました。ほだから俺と夫婦になってござい」と言って、八十八は大奥様と夫婦になって長者になった。
-----めでたし、めでたし-----これが元の筋書きです。

この民話の中で驚いたのは、人間の肝で薬をこしらえる「人肝買い」のことです。
現代で言うと臓器売買です。恐ろしいことです。

私の知る限りでは、報道写真家・石川文洋さんの写真集「私が見た戦争」の中に「切り取られた肝臓」という有名な写真があります。

キャプションは「解放戦線兵士が銃撃で殺され、肝臓が取り出された。肝臓は銃剣で小さく切られ、兵士たちが一切れずつ口にした。敵の肝臓を食べると戦死しないという言い伝えがあるとのことだった」 (1967年 ベトナム第9師団 メコンデルタ)

私は石川さんの写真を即座に思い出したものですから、峠の茶屋で「人の肝買うって奴がおるってか。峠の釜めしの間違いだべ」と言って馬喰が肝を踏みつぶすのは、作り話と言えど、きついな・・・と思ってしまいました。


「後見草」


次に、序のストリーは、杉田玄白の著した「後見草(のちみぐさ)」に基づいているようです。

杉田玄白は江戸時代の蘭学医で町医者でした。
42歳の時、翻訳書「解体新書」を出しますが、玄白の生き方を比較文学者の芳賀徹さんはこう紹介しています。

「玄白を、新医学の道にのみ馬車馬的に打ち込んでいる今様の専門家と考えたら間違いだろう。
玄白はまた同時に儒教道徳と西洋医学の二つに培われたヒューマニズムに立ち、医者としての広い情報源を活用して、同時代を批判し続けた一個の歴史家でもあった」

天明7年(1787)、玄白55歳の時に、社会批判の書として出したのが「後見草」です。

浅間山の大噴火による天変地異、飢饉、疫病、一揆、打ち壊しなど、民衆の不安と恐怖と年々の困苦を、広い情報と自分の見聞に基づいて、いかにも医者らしい克明なリアリズムによって記述しています。


書き直しに続く書き直し



という訳で、民話「聴耳草紙」と社会批判の書「後見草」を合体させたものが『神隠し「八十八ものがたり」』と言えるのではないかと、私(大北寛)は思います。

二つの話を一時間という制約のある演劇として合体させるのに、構成の土田先生が苦労され、第4稿までになったのではないか。

第3稿の演技指導で、先生は「これは民話の芝居じゃない。一揆なんだ」と叫んでおられた事がありましたよね。
先生は何も言われませんでしたが、第4稿で私が勝手に「差別」がテーマではないかと気付き始めたのは「川下」というセリフでした。

話の内容とセリフの語調から、これは差別語であると思って、ストーブに手を温めながら部員に聞いて見ましたら、差別を全く意識しないで「川の下の方」と答えたのは1年生。
その隣で2年生がこんな答えをしてくれました。
「下流には動物の死骸などが流れてくるので、そういうところに住んでいる人々のことを言います」

ところがどんな大きな辞書にも「川下」は「下流のこと」と書いてあるだけでした。松戸市図書館の本館で図書館の人に調べてもらっても、差別語であることは分かりませんでした。


私は関西の生まれですので、部落差別のことは子どもの頃から見聞きしています。
そうだ、ある。ある。
関西の大きな都市のある地域名が差別される意味に使われていることがあります。

映画「橋のない川」での「小森」という地名。
そうだ「川下」も同じだ。
地名と同じ使われ方をしていることに気がつきました。


「八十八」は現代に通じる話


この芝居、「差別」を声高にしているわけではありません。

知らず知らずのうちに、あるいは見終わって、じんと心に訴える何かがある・・・・ それは「差別」。差別感ではありません、仕組みとしての「差別」がある。

今の時代も八十八の時代と同じじゃないの?と言っているのでは。


例えば「偏差値」という言葉。
教育に関して使われる時
、これは今では立派な差別語です。

「八十八ものがたり」最終ステージの次の日、03月17日の朝日新聞にこんな記事が載りました。

「偏差値低いほど設置少ないエアコン」

エアコンを公費で整備せず、保護者らの負担での導入を認めている県立高校で、学力が低いとされる高校ほどエアコンが導入されていないことが、県立布佐高校の鳥塚義和教諭の調査で明らかになった。
偏差値が下がるほど、保護者がエアコン設置費を負担する余裕が無く、親の格差が子どもの学習環境にも影響を与えているとみている。
(以下略)

これは、差別感ではなく、まさしく差別です。仕組みです。

以上は私がこの演劇を見ての感想です。



演技はつらつ。神隠し「八十八ものがたり」----大いに笑えて、ダイナミック。

おもしろうて、やがて悲しき「ものがたり」。 馬高劇部 がんばりました。

終わり


 





白鳥の湖


2010年3月13日



「白鳥の湖」と言えば優雅な風景の代名詞です。

身近な風景で、かつて日本で最も汚れた沼であった「手賀沼」が今は「白鳥の湖」となりました。

驚きますよね。白鳥が増え出したのです。

白鳥は渡り鳥? いいえ、渡らないハクチョウ--コブハクチョウ--が増えだしたのです。

今村詮さんの
「手賀沼写真日記---レンズの向こう側」を見て下さい。

今村さんの写真は観察力がすごいです。

優雅でない「白鳥の湖」、鳥の本性が写っています。




シネマ歌舞伎


2010年3月13日



シネマ歌舞伎「法界坊」

つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅前の映画館 「MOVIX柏の葉」で

2008年11月に開催された浅草寺境内平成中村座の「法界坊」が映画になって上映されていました。

    中村勘三郎の「法界坊」です

このシネマ歌舞伎は舞台を見るのとひと味違いまして、大画面・大迫力に圧倒されてしまいます。

往々にして舞台を撮影したものは本物より迫力がないことが多いのですが、なんのなんの。

馬橋高校の舞台撮影も、シネマ歌舞伎に背中を押されてがんばる気になりました。


シネマ歌舞伎 おおいに見る価値あります。ぜひ。

 









松戸馬橋高
百姓姿と
白足袋


2010-03-10
 



 


「えっ、白たび。これ履いてやるの。百姓が白たび履くの?」


2月28日(日)「春季全国大会 公開リハーサル」が松戸馬橋高校内で行われ、早い目に出かけました。 久しぶりの「八十八」です。

私は昨年9月末から馬橋高校演劇部に通っています。
神隠し「八十八ものがたり」の読み合わせに始まり、大会ごとの改訂版を見てきました。
改訂の苦心は、民話と一揆話のふたつのモチーフのつなぎ方であったように思います。

関東大会で完成度は高まった、と思いました。
芝居の出来は上々。3番までに入って全国に進んで欲しいと思いました。

残念ながら4等賞で全国大会には進めませんでしたが、倉敷市で開かれる「春の全国大会」に推薦されました。これには3年生も参加できます。すばらしいチャンスです。

なぜなら、今度は競争ではありません。惜しくも全国に進めなかった優秀校が集って、もう一度納得出来る演劇を見せ合う舞台ですから。

2月28日の久しぶりに見る公開リハーサルは楽しみでした。


「えっ。百姓が白たび履くの? ムムム! ほんと?」というのが私の偽らざる気持ちでした。


         
     
  白足袋姿   左足の生爪を剥がしても ふんばった関東大会  
履くのは祭り足袋 ちょっと大きめ 衣装は「シンプル イズ ベスト」 後は演技で勝負・・・
 
小道具の小判はこれ一つ あとはジェスチャーで表現   この足に白足袋は合わない
 
大道具セット後は 危ないものがないか這って調べた   先生と生徒が一緒になって 慎重に丁寧に大道具を作った


今年の馬橋高校は今から思うとわずかの差で先へ。幸運でした。
先ず地区大会では僅差で県大会へ。千葉を制するものは全国をも制すると励まされて、一票差で関東大会へ。
その道程は、削いで削いで削ぎ落として、演劇の完成度を高める日々でした。

削いだのはシナリオだけではありません。
例えば小道具の小判。最初はいくつも造り、次には石ころを小判に見せて使い、最後はゼスチャーで小判のやりとりをするという風に・・・。
ですから小道具の小判は冒頭場面、三宝の上に置くものを一度だけ使いました。

百姓の衣装も段々変化していきました。変化の方向はシナリオや小判とは反対の方向で。
最初は単純なもので、八十八だけ青の半被を羽織りました。そのうち色々込み入ったものになり、白足袋まで履くようになりました。
ただ足袋は、生徒さんの言葉によると、危ないからということでした。

「シンプル イズ ベスト」  内容と演技力で勝負。  私は裸足の方が好きです。


関東大会の大船高校「アイ・ラブ・坊ちゃん」で、審査員からこんなコメントが・・・。
「座敷のシーンの中、下駄で上がっていくのには違和感を感じた」

馬橋高校も「一揆をやる百姓に白足袋は違和感を感じる」と言われかねないと思いました。



今までの練習風景から見てみますと、大道具は危なくないように慎重に作りました。
大道具をセットした後は、みんなが這いつくばって、危ないものは落ちていないか調べました。
馬橋の皆さんは裸足で演技することを前提に準備していることが分かります。

関東大会で左足の爪を剥がしたものですから、危ないからそうなったのかな・・・。


「先生、裸足でやりたいです」と言い出す生徒はいないのか。 そんな気持ちの一人が私です。

 

       





「アラーキー」と
「八十八」


2010年2月26日




「アラーキー」・写真家の荒木経惟さんとお酒を飲みながら話す機会がありました。

じつは荒木さんは私の大学(千葉大工学部写真印刷工学科写真映画専攻)の先輩で、私が入学した時(1960年)荒木さんは3年生か4年生。
新入生歓迎会の時だったと思いますが、荒木さんは目立っていました。
話をされたのですがどんな内容であったかはすべて忘れてしまいました。ただ面白い仕草というか荒木さんの持ち味が私の想像していた当時の学生像とはかなり違っていました。
そうですね。今で言うといきなりお笑いの一発芸を見せてもらったような驚きがありまして、強い何かを持っている人物でした。

荒木経惟さんは、世間ではオリジナリティー溢れるエロス写真の大家。
その実像は私の記憶では、半世紀前の学生時代から今も変わらぬ優しい心の持ち主です。 ですからその優しさに惚れて女性が裸になってくれるのです。

エロスは日本では異端という見方がありそうですが、外国の芸術家にとっては共通で最大の関心事で、エロスこそインターナショナル芸術の根元です。
ですから、この天才は、日本国内より海外の方がはるかに評価が高く、2008年にオーストリア政府から同国最高の「科学・芸術勲章」が贈られました。
この勲記が新宿・ゴールデン街入り口にある「うたどころ---花車」に荒木さんの作品とともに飾ってあります。

結論を急ぎますと、天才・アラーキーは人間の根元を追求することによって「生きる歓び」を追い求めている人であると、私は思います。
誰もやったことのないというか自分で納得する響かせ方で・・・。

       

さてここで、むりやり八十八の話しに持って行くのですが 馬橋高校演劇部の「神隠し八十八ものがたり」は佐々木喜善が集めた遠野の民話『聴耳草紙』の中の「馬喰八十八」を元にした岡安伸治の創作脚本で、生きる歓びをいかに表現するかが基本になっている気がします。

本来、芝居は非常に単純なことをいかにして観客に説得するか、私流に言えばうまくだますか、客から言うとだまされ方が見事であると、良い芝居だったと満足して、又見に来ようかという気持ちになります。
あっ、そうだったのかという納得が、例えばアラーキーの作品が世界の人々に通じように、人の心に残るのではないかと私は思っているのです。


松戸馬橋高校の「神隠し八十八ものがたり」は、顧問の土田峰人先生が、地区大会、県大会、関東大会とコマを進めていく度に構成を変えておられます。
つまり、民話と芝居作者の現代的解釈の部分をいかにして分かりやすく結びつけるか。その4回目の改訂版が倉敷市で開かれる「第四回春季全国高等学校演劇研究大会--フェスティバル2010 」(3月11〜16日)の発表になる訳です。

さて、どうなるか、「八十八ものがたり」を馬橋高校演劇部の皆さんがどんな風に直しに直し尽くして、観客に分からせてくれるか。
部員の皆さん、内容についてもっと勉強してこの部分は先生とは違って私はこう思うなどと議論をするようになってもらいたい。私はまだ部員が言い出して先生と議論を闘わせる場面を見たことがありません。ぜひともそういう場面に出くわしたい。

あ、そうそう、今度の芝居は競争ではありません。 劇する歓びを見てもらう会です。

アラーキーのようにグサッと心に突き刺さって、キラキラした何かを残してくれるものにして欲しいと願っています。


関東大会での
馬高舞台は
なかなかでした

2010-1月


2010年01月17日

関東大会での松戸馬橋高校「神隠し 八十八ものがたり」は今までで一番の出来だったと思います。惜しくも全国大会には進めなかったけれど・・・・・。
その舞台写真を掲載しています。これは日々増やしていきます。

(クリック)で見て下さい。



馬高の幕は
上がった
良かった



2009-11-21



県大会は
良い発表会
でした


2009-11-22


「一寸先は闇」。最近のご時世というか時勢は、あしたのことは本当に予測できない、全く困った世の中だ。知恵を働かせてみても寄る年波で空回り、そういう時は、何はともあれ寝るに限る。その内何とかなるものさ。
---------とは、私の場合。

馬高の皆さん、寝る間も惜しんで稽古したようだ。故障者続出。

私は思った。「ひょっとしたら幕は上げられないぞ」


本番当日、みんなの表情を見たいと思って、私は集合時間の15分前に現地に着いた。
昨夜はもうろうとして歩いていた3年生が楽しそうに会話している。前日は熱のため夕方稽古の時間だけに参加した1年生はゼリーを食べている。

「これなら幕は上がるだろう」。よかったと思った。




「気力振り絞って、穴埋めして、とにかく公演できたことには拍手を」

これは土田先生のことば。




さて、千葉県大会は告知、運営ともに見事でした。生徒が自主的に運営して、これぞ高校部活の成果だと思います。

閉会式での会長あいさつはこうでした。
「昨年の馬橋高校全国第2位の刺激で、千葉県を制するものは全国をも制する」
その上この大会は62回目、これはすごい。
千葉県の高校が活躍する吹奏楽コンクールでさえ、今年で51回目です。


ところで、「地区大会の告知がなっとらん」と、私は言いましたが、それは正しい意見だったと思います。

演劇は生もの。見たら消えます。そして再演の度に成長して行きます。特に若い人たちの成長ぶりはすばらしいと思います。その過程が楽しめるのは演劇の大きな魅力です。
ですから初舞台を見るためにも地区大会の告知をしっかりやってもらう必要があります。

実は昨年夏、「さわやかちば県民プラザ主催の『演劇ワークショップ---中高年のための俳優体験教室』--指導・県立松戸高校の見上裕昭先生」の受講生の一人が地区大会と県大会を見てこんな感想を述べて帰りました。つまり専修大松戸高校と馬橋高校の舞台を2回見たわけです。

「専修大学松戸高等学校の『交番へ行こう』はすごかった。終演後ロビーには観劇の興奮が渦巻いていた」
専修大松戸高校は熟成度が高かったのでしよう。案の定、ダントツの最優秀でした。

私は、用事がありましたので、講評と結果を聞きに行きましたが、これが大変勉強になりました。
審査員によって評価はかなり違いました。
点数表を見ると、好き嫌いで決めているように見えてしまうほど差がありました。
不思議だなあと思いましたが、「あっ、そうか」と納得しました。これで良いのです。
審査とはそういうものです。


松戸馬橋高校には、決戦投票の結果一票差で、もう一度舞台を披露する機会が与えられました。
良かったですね。


クリックすると県大会の舞台(オートスライド)に



千葉県高等学校
演劇発表会の告知

2009-11-02




高校演劇秋季地区発表会は11月4日と5日2日間、流山市生涯学習センターで開かれます。松戸国際、松戸秋山、県立松戸、専修松戸、松戸馬橋の5校が参加しますが、どのように告知されているか調べてみました。

千葉県高校演劇連盟の公式ホームページである「千葉県の高校演劇」には 2009年度 秋季地区発表会がお知らせとして掲載されています。
11月4日と5日に流山市生涯学習センターで開催されるとあります。それだけです。

会場である流山市生涯学習センターのサイトを見ると、センターの自主公演についてはお知らせ欄で分かるようになっていますが、高校演劇については何もありません。
センターに電話してみると、「高校の演劇の団体が、ホールを借りるようになっていますが、それ以上は分かりません」 。
暫く待たされて、「責任者の電話が書いてありますので、連絡をとってみたら・・・・・」という返事。

これでは告知は何もされないのと同じことだと思います。
変だとは思いませんか。

千葉県高校演劇連盟の公式ホームページに、各高校の出演時間くらいは分かるようにしておいてもらわないと・・・。これが一番肝心なことです。
各地区からのメールを受けてホームページへ張り込む、これだけで十分です。

「高校演劇という,いいことしているのに、お知らせがなーもないのは、いいことでねえ!」






 
ノーベル賞

 2009-10-07        






思索する西澤潤一先生(2006年)





東北大学で


2009年10月6日 ノーベル物理学賞に「チャールズ・カオ氏」が選ばれた。
次の日の朝日新聞に解説があり、「光通信の父」と紹介されていた。

「あれっ。西澤潤一さんではないのか」と私は思った。

先生のノーベル賞を、私は密かに期待していた。


私が初めて西澤先生の写真を撮ったのは1982年。
それから20年後の2002年頃突然手紙が来て、「米電気電子学会(IEEE)で『ニシザワ・ジュンイチ賞』が創設されるのだが、その時の写真をメダルに彫る肖像にしたい」。



ご縁はどういう訳か深く、3年前、「ロータリーの友」2006年7月号の「シリーズ 風紋」でも写真を撮ったことがあり、取材の最後に「ノーベル賞決定の報を待っています」と話しかけた思い出がある。

さてこれからが今回の話の本題。
半導体研究所の会議室には西澤先生の「研究者の心得---“ならない”3箇条」が掲げてあった。
以来、特にこの第1条は、私の写真を撮る時の心得にもなっている。
要するに「他人の真似はするな」ということだ。

 



西澤潤一先生筆




朝日新聞に西澤先生のコメントが掲載されている。

「カオ氏に初めて会った65年頃、(光ファイバーの)屈折率を工夫すると光が遠方に伝わるというアイデアを伝えた。成果の発表はこの約1年半後。光ファイバーの実用化に絞ればカオ氏の貢献は大きい。受賞おめでとうと伝えたい」


私は、やっぱり思っている。
「あれっ。西澤潤一先生ではないのか」






 新しいモチーフ
 に出合いました



 2009-10-01

 


私のモチーフは人間です。
人間の取材は、面白いけれど実は大変面倒な作業です。

以前から追いかけてみたいグループがありました。
15人ほどの生徒と一人の先生の高校クラブ。
そこで、もう一度“部活とは何か”を見たい。

取材交渉は。いつもの通り、直談判です。
顧問の先生に9月22日に初めてお会いし,丸一日見学させていただきました。
数回通ってから取材を申し込むつもりでした。が、練習最後の反省会の場で話しました。
ここには泣き笑いがたくさんある、と思ったからです。
「写真を撮らせてもらいたい」

先生は、黙ってうなずかれました。
「生徒の皆さんの顔ははっきり出ますよ」と言いました。
皆さんもニコッとして了解してくれました。

それは「千葉県立松戸馬橋高校の演劇部」です。
校長先生、教頭先生にもあいさつしました。教頭先生は柏市立柏高校が教師生活スタートで、石田修一先生とはかつての同僚だったという話をして下さいました。

なぜ松戸馬橋高校にしたかって?
 
それは自宅から自転車で10分のところにあるから、というのも理由のひとつ。




 

タイトルはです。
期待して下さい。




「フリー大北寛」
写真が
朝日新聞夕刊に
載ります


2009年 9月15日から9回



私はいま、朝日新聞 夕刊 一面の「ニッポン 人・脈・記」の写真を担当しています。

タイトルは「お殿様は いま」。
明治 大正 昭和と時代に翻弄されて来た旧大名の今の姿を伝えます。
9月15日から、政局が動く間を縫って、9回連載です。
1回目の“会津”だけ「アサヒ・コム」で紹介
  http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200909150192.html

記者は“執念の加藤明”です。
なぜ“執念の---”なのか。まず、下調べ量が膨大。その上、質問のしつこいこと。
それでいて、記事はさらりと。練られた言葉で。
今年の3月まで、歴史あるコラムの筆者でした。

私の名前は1回目と9回目に出ますが、「フリー大北寛」と表記。この注文は私のこだわりです。「加藤さんは社員だけれど私は社員じゃない」。
そういうことを聞いてくれるのが「朝日のいいところ」です。

9月15日の関さん宅前の新松戸市道くい打ちを見ている時、関さんポストに1回目の新聞が届けられたので、配達の方に「この人脈記は私が担当している」と話しましたら、ニコッとされて、「どうぞ」と一部もらうことが出来ました。




「ならぬ事はならぬ 会津魂」

1回目の会津の精神はどこかしら関さんと共通しています。
が、立ち会いに来ていた森のメンバーに話そうにも、その時はそんなことが許されないような、“ならぬづくし”のピリピリした空気が流れていました。(写真下=16日午後)






その夜、近くの知り合いから、一ヵ月朝日を入れてもらうようにしたからと、うれしい電話がありました。
「それはそれは、景気悪い会社に貢献できます」とお礼を言いまして、良く聞いてみると、「朝刊はズーと取っているのだが、夕刊は読まなくてもいい記事が多い。だから、朝刊だけなのだ」という厳しいお言葉でした。

「その通り。嫌われてナンボ、恥書いてナンボ。新聞屋魂はもっと体を張らなくちゃ“ならぬ”」




最近大北寛写真事情


2009年8月11日

 



今日は朝5時に地震、確か阪神大地震もこの時間で、新幹線が走り出す前の時間でしたした。
危なかったなあー、という気がしました。


阪神大震災が起きたのは、調べてみると1995年(平成7年)1月17日朝5時46分、その時私は茨城県の取手市にいました。
私立中学校の入学試験の現場にいて、ひたすら我が子の入試成功を祈るお母さんの姿を撮っていました。私から見ればこの姿は、今の日本現実という気持ちを込めて。
その時、車の運転手さんが、神戸で大きな地震が起きたようですよと教えてくれました。

その仕事を終えて、一週間ほど後のことでしょうか、写真で大地震のレポートをしてほしいとの注文で現場に向かい、数日間歩き回って芦屋市津知町のこの公園にたどり着き、ここのテント村の様子を写真で報告しました。村長さんの岡村昭三さんは大らかな方で、皆から推されて市議会議員に、後に病気で亡くなられました 。

この津知町は56人の方が亡くなり、家屋の全半壊98%と芦屋市内で最大の被害地でした。
今年(2009年)7月にその公園を14年ぶりに見に行きました。「絆」という一文字が刻まれた石碑がありました。



今日の地震でこんなことも思い出しました。 今から20年ほど前でしょうか、東海大地震で世の中が沸いた頃の話です。
東大の先生とヘリコプターに乗って駿河湾の上空を飛んだ時のことを思い出しました。
「いま大地震が起きたら、この海が割れて・・・」なんて聞きました。それ以後何もなく長い時間が経ちました。


その上今日は、東日本は大地震、西日本は台風、これは10年遅れの「世紀末」現象ではないでしょうか。自然ばかりではなく、人間の起こす様々な状況も全く予想の出来ないことばかり起こります。

ついでに言いますと、この夏の締めくくりは「代議士選挙」。確か昔は人を選んでいたのに、横文字の公約論議が盛んです。

衆議院議員だけ「代議士」と言います。ですからこの選挙は、人物を見なくてはならないのでは・・・・。



さて
「最近大北寛写真事情」を、少し報告します。


かねてから撮ってみたいと思っていた「野田津久舞」は終わりました。その後龍ヶ崎の撞舞も取材しましたが、利根川流域にこんなスリリングな神事が伝わっているとは、大変な驚きでした。
良い物に出会えたことはうれしく、来年も写真を撮りたいと思います。
野田の津久舞に関しては新人ジュウジロウサンの成長が楽しみです。


「関さんの森」は、取材を始めて一年経った4月頃に、道路問題に絞ろうと考えました。
もうそろそろ具体策が出てくるのではないかと思うのですが、「市民参加の道路造り」とは具体的にはどのような状況になるのかが、伝えたいポイントです。


イチカシブラバンの生徒さんとは、野田の津久舞を撮った帰りの電車で会いました。夜9時半頃でしたでしょうか、皆さんがんばっているようで、今年は去年より上を狙いたいと言っていました。
「去年は何でもかんでも金賞を取ったのに、まだ上があるの」と聞いたら「金賞でもランクがある」とのこと。
「一生懸命の毎日で大変ですね」と言いましたら、この夏もお盆の3日間だけが休みだとの話。
いやいや驚きの部活熱です。正直な感想は、熱というより「クレイジー」。いやほんと!!!


私も今はちょっとクレイジー。
あるところから取材を頼まれていまして、やっと目途がついたかなというところです。ここ3ヶ月は緊張の連続でした。
9月頃に掲載されるので、そのときはお知らせします。どうぞ見て下さい。



   

久しぶりに
送り大師に
同行



 




 


送り大師  2009年5月1日



















野仏に 花挿(さ)し 送り大師かな  宇佐見房司

                











2009年
5月

  市柏ブラバンの皆さん お久しぶりです

  市柏高中朋友們
。好久没見了!  
      





去年10月28日のことでした。市柏ブラバンの生徒さんからこんなメールをいただきました。
再掲載しても問題はないと思いますので、全文をそのまま紹介します。


こんばんわ。

初めてメールします。
私は市柏の吹奏楽部の2年です。
今日久しぶりに大北さんの写真を見ました。
でも私たちの写真は6月7日で終わっていたことに気づきました。
大北さんが市柏に来なくなってから、
そんなに日がたったのかと驚きました。


白組のマーチングは昨年の悔しさをばねにし
全国大会を目指してがんばっています。
吹連は全国大会の出場が決定しました。
M協は11月8日の大会で決まります。

赤組も無事全国大会出場
普門館で金賞を受賞しました。

青組は11月2日の大会に向けて頑張っています。
今年は田嶋先生が作曲した「鳥獣戯画」という曲で
赤・青組が吹き、白組がコーラスではいっています。


今年は中国に演奏旅行に行くなど
ハードスケジュールの中
目標に向かって頑張っています。
そんな日々をぜひまた大北さんに撮ってもらいたいです。
早くイチカシブラバンの写真が増えるのを
楽しみにまっています。

お忙しい中メールしてしまいすみませんでした。
「関さんの森」頑張ってください。 




私は、ジンときました。
何に感動したのか。最後の一行、「関さんの森」頑張ってください、に泣けたのでした。

若い人たちにとって、携帯電話は無くてはならない持ち物になっています。私のサイトへも携帯から打ったメールが来たことがありました。その殆どは腹が立つほどろくでもない文体でした。
仲間内でやりとりするならいいが、メールは世間では手紙と同じです。手紙としての体裁がなければ失礼だと「イチカシブラバン物語」の中で書いたことがありました。

が、今回紹介したメールは立派な手紙になっていて、最後に相手を気遣う心が見えたのでした。
差出人はどんな生徒さんだろうか、実は顔が思い出せませんでした。
4月の始めに演奏会で本人と会って、それほど親しく話した生徒さんではなかったので、よけいに驚きました。


私が市柏ブラバンにたどり着くのには時間がかかりました。学校のそばの神社で流れてくるサウンドを聴き、いつかこの部活の写真を撮ってみたいと思ったこともありました。

2006年12月、知人を介して石田先生に面会することが出来ました。
玄関から音楽室までの廊下を歩いていく途中で、見えるか見えないかの小さなゴミを、先生がちょこっと拾われました。その瞬間を今でも覚えています。

音楽室には生徒が詰まっていました。壁には表彰状が数えられないほど張られていました。室内には張り詰めた空気が流れていました。

私は朝日新聞社の出版局に所属し、週刊朝日やアサヒグラフなどの仕事でスタートしたものですから、ルポルタージュは多くやりました。舞台関係は専門という訳ではありませんが、それでもオペラ、演劇、歌舞伎、舞踏などは好きで、比較的数多くてがけました。分かってもらうためにお話ししますと、ウィーンの国立歌劇場、安部公房スタジオ、仮名手本忠臣蔵の東西歌舞伎(江戸と上方の舞台)、田中泯(1970年代、身体気象研究所活動の時代)などで、それぞれに学ぶところがありました。

さて、私の目の前にある市柏の音楽室には、今まで経験したことのない雰囲気が漂っていました。
市柏の音楽室は「道場」であり、「修行の場」、これが私の第一印象でした。

私はトライアングルの生徒さんを撮り、ホームページに載せました。
本人からこんな返事が来ました。

---------------「コンサート舞台裏」にあるトライアングルをやっていた者です。
写真のコメントに「繊細....彼女の演奏を見てそう思います」と書かれており、あまりに嬉しくなったため、メールを書かせて頂きました!
そう思っていた方がいらっしゃるだけで、自分が今まで市柏で3年間頑張ってきてよかったなと思えます。
この曲でトライアングルを演奏していてよかったと心から思います。---------------

いつぞや、石田先生が生徒さんにこんな話をされました。
「みんなに音楽家になってもらおうとしているのではない。社会に出て、人として恥ずかしくない人間になってもらいたい。そのために一流とは何か、そういうことを部活動で学んでほしいのだ」

私の視点は、最初はなぜ市柏は一等賞を取れるのかを探ること。それとともに、高校生活におけるクラブ活動はどんな価値があるのかを観察して写真を撮りたいと思っていました。

よく間違えられるのですが、私は市柏の追いかけではありません。ブラスバンドの皆さんの表情をサービスで撮っているのでもありません。

50歳年上の私と共感できる生きる喜びを、皆さんの中に見いだそうとしたのです。



さてここからが、話の核心です。

「個性」についてです。
私はあと3年で70歳になりますが、私の子ども時代から、「個性」という言葉は氾濫しています。安易に使われすぎではないでしょうか。
戦後の教育で一番重要視された言葉、ずーと気になっていました。一般に使われている「個性」は良く考えてみると、「くせ」程度で使われているのではないでしょうか。

ちょっと理屈っぽくなりますが、「個性」と言う時、「くせ」とは別の状態を言っています。そこには「オリジナリティー」の存在を意識しているのではないでしょうか。

石田先生は、誰もやったことのないやり方で指導されます。
「ようじ一本が学校をダメにする」は生徒が寸劇にするほど有名になりましたが、演奏会でも誰もやったことのない演出をされます。
「なるほどこういうことを個性というのか」とはっとし、納得したことが何回もありました。

例えば「ねぶた」の発表の前日、みんなに檄を飛ばしました。
「異様な集団と見られたら大成功」
すごい言葉でした。
この言葉を意識するかどうかで演技に差が出るのではないでしょうか。
その結果、審査員から「明日の吹奏楽の姿を見せてもらった」という最高の評価を受けることになるのです。
市柏ブラバンの皆さんは幸せです。部活が個性磨きの直伝を受ける日々ですから。

もう一つあげてみましょう。

市柏のマーチングは2年生まで。他の学校では、マーチングをやる生徒は3年間やり続けると聞きました。それでも市柏は全国大会の金賞をとるのです。
先生の苦労は並大抵ではありませんが、しっかり付いてゆく生徒がいるから出来るのです。教師冥利に尽きるでしょうね。


この教育現場を、私は1年以上見せていただきました。ありがとうございました。
それが「イチカシブラバン物語」になりました。

このルポルタージュ、学校内取材のいわゆるルールを破っていたかもしれません。
私は近頃の、保護者を含めて日本の教育環境のあり方に疑問を感じておりますので、そのぎりぎりのところでやるというのが、私のオリジナリティーかも。
けれども、私のオリジナリティーは石田修一先生に比べたらまだまだです。

 

「いつ来るのですか。待っています」と今の3年生の何人かからメールを頂きましたが、普段の学校に入るのは遠慮しておこうと思っています。

今の3年生は入学前から写真を撮っていましたから、少なくとも卒業までは校外での演奏会などを見せていただきたいと思っています。

 
 加油




                             2009年5月3日  この項 おわり





顧問先生近況 (ニッカウヰスキー・コンサートで=4月26日)



「みんなの姿を残したい」今井先生


「ここにいる2.3年生、そして1年生も、全員浜松の講習会へ連れて行きたい」
と石田先生は訴えた

     

2008年
7月4日

中学校のクラス会

大津市での同窓会
で「関さんの森」
のテレビを見た
友がいた

私は滋賀県の出身で、昭和32年に堅田中学校を卒業しました。
当時は1クラス51人と、今では考えられない多人数です。堅田地区、仰木地区、真野地区と広域に1つの中学校だったのが特徴です。現在は各地区にひとつずつの中学校があります。
このたび5年ぶりの同窓会。3年5組の我々51人は、京都の美術大学日本画を卒業したての異色の教師、石本利一先生が初めて持った生徒でした。

卒業してから先生に聞いた事があります。
「日本画とは何ですか」
「線や。線の美しさや」
それ以来私は日本画を見るたび、「線は美しいか」。

今回は、なぜ教師になったのかを聞きました。
「ほんまは映画の美術をやりたかったんや」
さすが京都の美大です。
「 堅田中学の先生から、ぜひ来てくれと言われてな。長男やったし・・・」




スポーツも万能だった先生は、3年5組に「サンゴ」という名前をつけて、旗を作ったり、応援歌を作ったり、皆を飯ごう炊さんの自転車旅行に連れて行って下さり、これは学校には黙っての計画だったので、後で教頭先生からえらく注意を受けられたようで、そういう行動力が先生の魅力でした。
堅田中学には3年と短かったのですが、先生を慕う生徒の気持ちは強く、「サンゴの友の会」は今でも続いています。

裸足の運動会、すらりとした女生徒の水着姿、先生から撮ってもらった沢山の写真を眺めながらの同窓会は、ちょうど子犬がじゃれ合うような雰囲気でいいものです。
私は近況報告で、サイトに1日で600人くらい訪問者があって、多すぎて通信を止められてしまった。これは「関さんの森」の環境と道路問題を放送してくれたテレビのおかげと話したら、京都に住む会の幹事は「ぼくはそれを見た、見た」。やっぱりテレビの力はすごいと思いました。

今回集まったのは15人。51人のサンゴの友のうち9人は亡くなっています。ご主人をなくした人も。
皆さん健康には注意しているようで、お酒をあまり飲みません。ぐいぐいやっているのは私だけ。結構酔っぱらいながら撮ったのが上の記念写真です。
最後になって、5年だと長過ぎるからもうちょっと早い目に集まろうやという話になり、「よしそうしよう」と幹事さんは快諾してくれました。
幹事の伊庭君ありがとう。


2008年 6月4日

25回 チャリティー の
オートスライド


25回 チャリティー コンサートのオートスライドがやっと完成しました。
136枚の写真を3秒ごとに展開しています。この容量は23メガバイトありまして、インターネットではとんでもなく大きな数値です。
クイックタイムというソフト(無料)を使うと先読みしながら展開するので、こんな大容量でもスムーズに見ることが出来ます。

回線が高速になり、ネット技術の進化は素晴らしいものです。こちらからは、色調も調整して送っていますので、いいディスプレイならかなりいい映像を見ることが出来ます。
考えてみれば5年前はこれだけの大きなデータをインターネットで扱うことは出来なかったと思います。
文字データ中心のネット環境の方は残念ながら私のサイトは見ることが出来ません。これは仕方のないことです。

さて、内容に関してですが、今回はイチカシの皆さんのエネルギーが伝わればと思って作りましたが、いかがですが。
当分は、今まで通り写真を並べたものとオートスライドを掲載しますが、その内にオートスライドだけを残します。

音楽に関してですが、「サンバ・DE・ららぽーと」----田嶋勉先生作曲 「Thousand Leaves」----田嶋勉先生作曲 市立柏高校校歌----中村八大作詞作曲の3曲を使わせてもらいました。

「サンバ・DE・ららぽーと」 は2006年11月、柏の葉「ららぽーと」のオープニング記念に作られたものです。
明るくて心がうきうきしてくる音楽ですよね。
だけど「ららぽーと」ではほとんど流されないとか。どうしてなのでしょうか。
私が宣伝広報関係者だったら、朝昼晩流しますね。そのうちお客さんが口ずさみ始めますよ。そういう歌です、これは。

「Thousand Leaves」は壮大な青春歌。これも聞く機会がありません。惜しいです。

残念、残念、残念の極み。

いつか、「吹奏楽のための24の季節」(田嶋勉先生作曲)を使わせてもらいたいと思うのですが、これはデータ量が大きすぎて無理でした。そのうち何とかなるかもと思います。


 

最近は新しい情報は流していません。それでも「イチカシブラバン物語」を見て下さる方は毎日100人くらいあります。
英語圏からも見ていただいているようです。


「大北寛 Web 写真展」はあくまでも正統派ルポルタージュをめざします。

「正統派ルポルタージュ」ってなあに、それはその時その時のことを、正確に伝えることです。


2008年 5月16日

「色々な仕掛け」と
「とっておきの話」

1つ目。

私のサイト「大北寛WEB写真展」の写真の数は膨大です。あえてそういう方法をとっています。
それを如何に楽しく飽きないで見ていただくか。そのひとつに「オートスライド」があります。

最近「クイックタイム」を使い始めました。
ここからダウンロードして下さい。「win.98」など古いバージョン用もここから見つかります。これを入れてパソコンが壊れることはありません。

例えば、演劇ワークショップの見上先生の演劇「かもめ郵便局物語」は13メガバイトあります。それを全部読み込むのにはかなりの時間がかかります。 クイックタイムで先読みさせるとスームーズに見ることが出来ると思います。

これは2008年12月に外しました

ひょっとしたら最初の読み込みに時間がかかるかもしれません。
どうぞ、
ちょっと我慢をして、最初の画面が出るまで待って下さい。
次回から速くなります。



----動作に関しておかしいところがありましたら教えて下さい


2つ目。

このサイトをのぞいても写真が昔のままだなんてことありませんか。
写真はかなり頻繁に追加しています。
見ていただく時に、最新の状態に更新して下さい。これが大切です。

どんなことをするのか。
メニューバーの「更新」をクリックするだけです。
これは大事なことです。



3つ目。

最近の記事で面白いのがあります。ぜひお読みください。

演劇ワークショップクリック練習の記録5月14日/県立松戸高校の歴史です。

ここの卒業生は2万2千人。とっても歴史ある学校なんです。
「松戸高等女学校」-----そういえばおばあさんがそうだったなんて楽しい話が出るかも。

もうひとつ、松戸には旧制「千葉中学松戸分校」というのがあったのです。
じつは私の連れ合いの祖父(松戸在住者)が「千葉中学」でボートをやっていてコックスでした。
松戸から毎日千葉市まで通ったのではなく、松戸市内に千葉中学松戸分校があったのです。 これが千葉大学園芸学部の前身です。
園芸学部のサイトにこの記述はなく、「千葉大学創立50周年記念特別企画 写真とエピソードで語る図書館の50年(3)」の「園芸学部分館の歴史 高野 厚子」にありました。




2008年 5月13日

ハンカチノキ


中国の四川省で大地震が起きました。
阪神大震災の20倍の威力。
1万人以上が亡くなられたようで、まだ増えそうとか。
自然の威力は人智の及ぶところではありません。

四川省は中国一豊かな所、何と言ったかなー。そうだ「天府之国」です。
自然の恵みが多く災害が少ない「国の中の天国」 のんびりした農村地帯でした。

私はかつて2ヵ月程でしたか四川省で、カメラマン冥利に尽きる旅をしました。

1989年に朝日新聞の日曜版連載「世界花の旅」の取材で「ハンカチノキ」を見るために、蛾眉山に登りました。
植物界のパンダと呼ばれる「ハンカチノキ」が咲いているはずでした。
ひとあし遅れてだめでした。



シャクナゲ(左)          ハンカチノキ(右)

あきらめきれない気持ちのまま、次の花、「シャクナゲ」を取材するためにチベットに近い氷河地帯のミニヤコンカに向かいまして、途中の山中で満開の「ハンカチノキ」を見つけることが出来ました。
あまりにも立派な木だったので、見つけた感動は今でも新鮮に残っています。

取材記事のなかで「ハンカチノキ」は東京の小石川植物園で見ることが出来る、と出たものですから、次の年にはわんさか人出がありまして、「ハンカチノキはこちら」と看板が出るようになりました。
日本の「ハンカチノキ」ブームは、実はこの時に始まったのです。

1989年といえば「天安門事件」の年。
北京天安門事件の始まりの頃を取材後、電話も通じない四川省の3500メートルの山中にこもったものですから、日本にいる家族や親戚はたいへん心配したようです。
そんなこととはつゆ知らず、私は記者と二人で、天空の花を追いかけていたのです。


それから18年経って、思い出にと昨年我が家に「ハンカチノキ」を植えました。

今年はひょっとしてと期待したのですが、来年を待ちましよう。
今ツツジで満開ですがその上にひらひらとハンカチがそよぐのを楽しみに。


ツツジの上にハンカチノキの若木



     

2008年 4月29日



3つのクラブ活動


私は今、3つの地域活動を並行して“観察”しています。
私の使う観察という言葉には、先入観でものを見ない。足しげく通って見えてくるものを伝えるという気持ちを含んでいます。

1つ目は、高校生の部活--市柏ブラバン。今年は観客席から見る聴くという形で続けたいと思います。

2つ目は、さわやかちば県民プラザの「見上裕昭先生指導・演劇ワークショップ」。これは40歳以上の方々の自己表現力の成長過程を見ます。8月24日の公演に向けての稽古風景がモチーフです。

3つ目は、都市空間の中の緑を守る--「関さんの森」を育む活動。


3つに共通しているところは「人生の倶楽部活動」です。

「感じていたい生きてる歓び。それが命を輝かせるのさ」

私の見たいのはそこ。伝えたいのも、そこ。



2008年4月16日

「演劇ワークショップ」
第1回


16日夜、「演劇ワークショップ」が始まりました。生徒さんは全部で21人。女性は16人、すべて演劇の経験なし。男性は5人、うち1人だけ初めてで4人は昨年の出演者です。

最初に酒井保廣所長のあいさつがありました。
「演劇ワークショップは2年目になる芸術文化事業で、演劇は自己表現技術のひとつであります」
見上裕昭先生についてはレッスン語録を記します。
「汗かいて、ビールがおいしい。そんな終わり方をしましょう」
「ストレッチは柔軟体操ではない。自分の体がどうなっているか、感じることが肝心」
「痛気持ちいい-----ちょっと痛いような状態がいいのですという意味」
そんな言葉を投げかけられながら皆さん楽しくやっていました。
そのうち恥ずかしいという気持ちが薄れて、何かしら保育園児に返ったような雰囲気になりました。このあたりの様子は写真を見て下さい。笑ってはいけません、けれど笑えます。
一汗かいたあと、自己紹介になると、皆さんもっと打ち解けて和やかな雰囲気になりました。各人の写真を撮ったのですが、この写真はいつか見てもらうことにしましょう。

次回はセリフを一言「雨だ」を自分なりに言ってみる、ということになりました。ちょっと楽しみです。


2008年 3月6日

「石川文洋」さんのこと


市柏ブラバンの皆さんにぜひ見てもらいたいテレビ番組があります。

NHK教育テレビ「知るを楽しむ 人生の歩き方」3月番組「石川文洋 戦場を撮る 人間を撮る」です。基本的には3月の毎週水曜日、夜、10時25分から25分間、4回続きます。再放送は翌週水曜日、朝5時05分から。

その第1回目の放送が3月5日の夜ありました。
1964年、世界旅行を目指して20代半ばの石川さんがベトナムへ渡り、4年間ベトナム戦争の最前線を取材、その時撮った人たちを今回再訪問し、戦争とは何かを伝える内容でした。

石川文洋さんの名前は知っている人がいるでしょう。ひょっとしたらお父さんお母さんの方が良く知っているかも。ぜひとも家族で見て下さい。
なぜ見てもらいたいかと言うと、ふだん部活の中で石田修一先生の話される内容の隠し味「志」という観点で通じるところがあるからです。


2008年2月8日

 


サイト訪問カウント
が急に増えた


2月7日はサイト訪問カウントが急に増え、200以上になりました。

一年前の浜松大会を伝えた「TEARS」を見てくれた人が多かったかな?
あれで部活の大切な部分を伝えることが出来たのではないかと思っています。

ある程度出来上がって、公開する前に今井先生と緑川先生に見てもらって意見を聞いたら、部活には先生から指導を受ける部分と自分たちで治める部分との両輪があるという話になった。

緑川先生(19期卒)の話では、21期生はしっかりしていたという。21期生には野上孟さんがおられる。
そう言えば昨年の夏、野上さんはパーカッションのメンバーを指導しながらこんなことを言っていた。
「すげえいいよ! 自信持っていいよ!   今までで一番だよ!
オレたちはもっと下手だったけど 気迫はあった(野上さんの発言のまま)」
この「気迫はあった」ということはどうやら自分たちでやることはしっかりやった、ということらしい。

今井先生の意見は、若い時は大いに失敗して良い、その時どうするかが問題だということだった。残念ながら、今の人たちは、どうすれば良いか考えられないのでは・・・と。
こんな風にお二人ともまことに厳しいご意見でした。
実は私も同じ感想だ。市柏生は指示待ちが多すぎる。もっと自立した方が良い。
「どうすればいいですか」ではなくて「こうしたいがいかがですか」から始めてはいかがですか。
高校生の部活とはそういうものではないでしょうか。

昨日の舞台マナーについては、こんな気持ちを込めたのです。
「石田先生がおられても、同じことをやりましたか」






2008年2月7日

舞台マナー


吹奏楽部内のアンサンブルコンテストが、2月6日午後1時から沼南公民館で行われた。
石田先生は用事があって審査会は欠席。「会の運営は生徒がやります。審査も生徒自身がやります」と聞いていた。

私は観察したいポイントがあった。舞台マナーである。

昔こんな事を取材仲間から聞いた。オーケストラの指揮者はなぜ正装するか、それは服装にまで気を使って来てくれる観客に失礼にならないためにである。
石田先生は靴の裏まで気を使って指揮台に立つという話をされたことがある 。
舞台に立つとはそいうことである。

生徒の運営で果たして本物の舞台が作れるか、という見方が根にある。

1年生の発表では、みんな一生懸命な姿が見られて良かったと思う。
演奏スタイルでは大いに楽しませてもらった。いったん舞台に立てばそこは本人の世界だ。好きにやれば良い。それが若さの強みだ。
エンターテイナーの片りんを見せて、みんなの喝采を浴びたのがいた。本人に聞いてみると「ボクは本当はクラシックをやりたいのです」。立派です。
ただ全般的に演奏前後の姿があまり良くない。これからは品(ひん)を意識してもらいたい。舞台から姿を消すまで、姿勢、手の先、足の先の動きまで神経を使うと美しくなる。

2年生には失望した。
舞台マナーの悪さに怒りさえ覚えた。
みんなが悪かった訳ではない。ひどいことが一つでもあると全てに悪い印象を持たれてしまう。そういう意味で受け取ってもらいたい。
具体的に言おう。
1点目。上着やスカートのポケットからハンカチや手ぬぐいを垂らせたままの演奏姿が目立った。なぜお互いに注意し合わないのか、それが不思議で、理解できなかった。
2点目。演奏者の後ろで待つ次の演奏グループは、観客から丸見えの状態になる。演奏者の邪魔にならないように静かに待つのが当たり前だが、その姿は見ていて恥ずかしくなるほどだった。ライジングドラゴンで厳しく訓練されたはずなのに。
後ろを向いて自分たちの演奏の段取りを身振り手振りで予行練習をするものがいた。
最悪は観客席にいる仲間と手を振り合っている者までいたことだ。みっともない。なかなか止めないので、客席で手を振る生徒に「お前ら止めとけ」と注意したが、「何言ってるの?」と言わんばかりの顔。さすがの私もこれには腹が立った。本物を目指す市柏ブラバン生の誇りは地に落ちたのか。
この2点目の事が実にあほらしくて悔しくて、夜中に目が覚めた。それでこれを書いたのだ。

2年生の舞台上で、手際よく譜面台を運んでいる2人の進行係の姿には好感が持てた。2人は1年生だった。これが救いだった。




2008年 2月5日


TEARS

クリック


「吹奏楽の甲子園」の呼び名がある「全日本高等学校選抜吹奏楽大会」の第20回大会が、3月23日に浜松市で開かれます。
イチカシは出場高校の中で、最多の20回目になります。


昨年の出場メンバーにとって忘れられない出来事の報告、TEARS が卒業前に作れました。
音楽は田嶋先生の「TEARS」を使わせていただきました。

実はこれ、今の3年生が引退して音楽室を大掃除している時、部長の石原君に「一番印象の深い出来事は何だった?」と聞きましたら、「昨年の浜松大会の本番前の一件です」という答えが返ってきたからです。
その一件は封印するつもりでしたが、生徒に力を与えて下さった今井先生の了解と石田先生の許可を得る事が出来ました。

イチカシと言えば、栄光の数々。その反面、石田先生の言葉の通り「生徒と壮絶な戦い」もあり、これは後者の一例です。
私は、こういう光景に「部活ドキュメンタリー」の価値があると思っていましたので、まとめる事が出来て大変嬉しいです。


それからもう一つ意味がありまして、
卒業する3年生の皆さんへの祝いの気持ちが入っています。
「これからは自分の足で立て」という私からのメッセージを込めました。多分、この場面のことだろうなと分かるはずです。



2008年 1月24日

盗作


デジタル時代の大きな問題は「盗作」。コピーandペーストで他人の作品を簡単に盗む事が出来ます。
これは万引きと同じで犯罪です。

写真、音楽、記事など全てのものには著作権があります。
著作権は放棄しますと書かれていない限り、無断使用は厳禁です。

私は新聞社にいたと前にお話ししたことがありますが、盗作記事を書くとクビになります。
それくらい厳しいです。
なのになぜやるのか。その原因はアイデアの枯渇でしょうか。オリジナリティーがなくなった時でしょうか。

実は、チャリティコンサートのブログの中に私の写真を無断で使用したのがありました 。
私の写真の一部を切り取ったから分からないだろうと思っているのかもしてませんが、そんな事はありません。
すぐ分かりました。自分の写真は何十年前のものでも分かります。何かしら自分らしいにおいがあります。もっと簡単に言うと自分のクセが残っているということです。

盗んだ人は反省して下さい。そういう人はインターネットを使う資格はありません。

著作権についてのサイト-「コピーワールド」

 


2008年 1月23日

マーチングコンテストの成績表

「全日本吹奏楽連盟会報-すいそうがく」 (読み込みに時間がかかります)

昨年11月18日、大阪城ホールで開かれた全日本吹奏楽連盟の「全日本マーチングコンテスト」のくわしい成績が発表されました。

淀川工科はさすが超A級。
市柏は市習と並ぶ点数の「金賞」。たいしたもんだ「市柏ブラバン」。

市柏の奮闘ぶりについては、オートスライド「金賞への道-Thousand Leaves」を見て下さい。



2008年 1月17日

心温まるおみやげ


シンガポールから帰った3年生からおみやげをもらった。

一つ目はクッキー。
「これどうぞ」と言って渡してくれた。よく見るとマーライオンの形をしていた。
洋菓子を教えている連れ合いからほめられた。
「うんシンプルでおいしい。これは東南アジアのココナッツの香りが生きている」

二つ目は背中をツンツンと突かれ、振り返ると二人のホルン奏者が、ニッコリ微笑んでマーライオンのチョコレートを渡してくれた。
ひと月早めのバレンタイン。そんな気分になった。
謝謝!
何返そ。



2008年 1月12日

「アメリカン・グラフィティ」考

「アメリカン・グラフィティ」のDVD

ちょうど1年前、「チャリティ・コンサート」でアメリカン・グラフィティという言葉を初めて聞いて戸惑いました。

「これはオールデイズと呼ばれている1960年代のアメリカの・・・・・」と説明が続くのですが、それとグラフィティとはどんな関係なのか、「グラフィティ・アート」は地下鉄などの落書きをアートに高めたものぐらいは知っていましたが、どうして音楽と結びつくのか、さっぱり分かりませんでした。
のどにトゲが引っかかった気分がズーッと続いていました。


大体こうではないかという域に達しましたので報告します。

アメリカン・グラフィティ」は、「スター・ウオーズ」(1977年)の映画監督ジョージ・ルーカスがその4年前に作った(2作目の)映画の題名です。製作は「ゴッド・ファーザー」のコッポラです。


インターネットから説明を引用すると、
「1973年に公開された映画"アメリカン・グラフィティ/American Graffiti"。舞台は1962年の卒業シーズンのカリフォルニアの片田舎。ティーンエイジャー達は、ウルフマン・ジャックが発信する海賊ラジオから届くロックン・ロールをBGMに、愛車でドライブインに乗りつけローラースケートを履いたカーホップにチェリーコークをオーダーし、いざストリートへと繰り出す。ソックホップ・パーティにナンパにシグナルレース、そして悪戯の数々。そんないつもと変わらぬ一夜の中、主人公カートは人生の岐路で何かを模索するストーリー」

私なりに説明すると。今から46年前のアメリカ。
市立柏高校3年生と同じ年代の青年が、高校を卒業して旅立ちを翌日に控えた夕刻から翌朝までの出来事を追うストーリー。当時流行した音楽からルーカスが自分好みの41曲を選んで展開しています。

これがきっかけで、その時代の曲を総称して「アメリカン・グラフィティ」と呼ぶようになって、これが「オールデイズ」と同じ意味になるのだと私は思います。

ジョージ・ルーカス


DVDの映画解説で製作のコッポラが話しています。

「この映画の題名を監督のルーカスが『アメリカン・グラフィティ』にした。それしかないと彼は言った」

ですから、「アメリカン・グラフィティ」という言葉の源はルーカスにあるのです。

そうじゃないというご意見がありましたら、どうぞ教えて下さい。



1962年当時、私は大学1回生で寮生活。遊んでばかりで成績は赤点だらけ。人生で一番楽しい時期でした。週末ごとにダンスパーティーで、下手ながらも「ブルース」や「ジルバ」「ツイスト」を踊りました。
ステップは映画のシーンと同じです。音楽は今で言う「アメリカン・グラフィティ」。「only you」など私にとって「懐かしのメロディ」です。
映画に面白い場面がありまして、それはチークダンスは校則違反だと学校の先生が指導していたことです。私の頃はダンスパーティーは学生自主開催で、先生が口を出す事はありませんでした。



DVDはどこのレンタル店にもあると思います。

 






2008年 1月8日

採用試験が変わって来た


昨年の暮れ、この欄で「知識より知恵を」と書きました。

今日の朝日新聞にこんな告知が。
「春の採用試験で、応募者全員にお会いします」
これは大きな変化だと思いました。
今までは筆記試験を通過しないと、まあ言えば、門前払いでした。

これからは、少々成績が悪くても、人間を見て採用しますよ、ということです。

採用が決まると各県に配置さえれて、県政や警察回りをします。そこで仕事ができると見られると早く本社の記者になることが出来ます。
いわば這い上がってくるのを待つ訳で、虎が我が子を千尋の谷に突き落とし鍛えるのに似ています。
その時、這い上がる決め手は「知恵」です。(「知恵力」とは、やりとげるエネルギーのことだと前に書きました。)
この事は、すべての企業において同じだと思います。

さて、「悪知恵が働く」とか「知恵」という言葉にはあまりいい印象を持たない人もいるでしょうが、本当の「知恵」の意味は「物事の道理が分かり正しく判断できる心の働き」です。
これを哲学用語では----- 単なる学問的知識や頭の良さではなく、人生経験や人格の完成を俟(ま)って初めて得られる、人生の目的・物事の根本の相にかかわる深い知識-----と説明してあります。

筆記試験で「知識力」面接で「知恵力」を見る、そんな風に変わってきたのですね。


高校生活で「知恵力」を鍛える場所、それは「部活」です。




2008年 1月7日

最後のレッスン


シンガポール遠征を2日後にひかえ、市立柏高校内での最後の練習がありました。
3年生にとってはこれがイチカシでの最終レッスンになります。
何となく「母校」という気持ちが生まれ出したのでは。

石田先生は、時間をやりくりして指導に来られました。

レッスンの終わりに、1年前のこの時期に、役員の生徒に心構えを書いてもらった文を返しました。
「1年前、君たちの気持ちはこうだった。この作文は一生の宝物になる」



一年前の「部長就任時の気持ち」を書いた作文を返してもらった石原君(右端)


石原君(吹奏楽部部長)に、それを見せてくれないかと頼んでみました。
彼はいいですよと言って見せてくれました。

「ボクは今までに部長といったこんな大役をしたことがなかった。やるからには朝一番に来て音楽室の開け閉めはしっかりやります」
素直な性格をそのままに表した清々しい文でした。

石原君はシンガポールから帰った後、次年度部長・窪田君と交代します。

私のサイトで石原君を紹介したところがありますので、再掲載して、ご苦労様でしたの言葉にしたいと思います。




部長の石原幸広君です 彼は毎日一番に登校し 6時30分に音楽室を開けます
旧沼南町の塚崎から自転車で通っています  冬でも朝5時に家を出ます
皆が練習を終わるまでいて音楽室を閉めて帰ります
(4月9日入学式の日)



「テキーラ」ではティパニーを担当

2008年1月5日
シンガポール遠征を前に 柏市民文化会館での最後の練習から



卒業後は 音楽と音響について学び
コンピュータ音楽の道に進む
これが石原君の目標です



2008年
1月6日

せめて手紙くらいは書けるようになってほしい。


今、女子大の学部長をやっているかつての同僚(新聞記者)の年賀状にこんなことが書いてありました。
「活字を離れてケイタイコミュニケーションに熱中するネット世代に、化石的われらは何を伝え遺すべきか」

同感です。

イチカシの生徒さんでびっくりしたことは、手紙の書き方が全くなっていないことです。程度の低さには腹が立ちます。
この手紙とは、具体的に、メールのことですが、文末に自分の名前が書いていない。こういう手紙(メール)が、当たり前のようになっているならば悲しい。


3年生のみなさん。社会に出たら誤字の多い手紙も、それだけで馬鹿にされますよ。
くれぐれも、最低の常識と礼儀を忘れないで。

 

 

 

 


2007年
12月14日

「THOUSAND LEAVES」で新しいオートスライド準備中


田嶋先生作曲の「THOUSAND LEAVES」をBGMにした新しいオートスライドを準備中です。
何回も何回も曲を聞きながら「語り合おう友よ、信じ合う友よ・・・・」をイメージしています。
何となく「部活」ストーリーになっています。

これは12月29日に完成しました


 


2007年 12月09日

「サンバ・DE・ららぽーと」


最新の写真のページで使う音楽(BGM)に田嶋勉先生作曲の「サンバ・DE・ららぽーと」を使わせてもらいました。演奏は市柏ブラバンの皆さんです。田嶋先生と石田先生の許可をいただきました。

これはやってみたら、にぎやかすぎて、音量が絞れたらいいのですがその技術を私は知りませんので、BGMは「柏ロマン2」
に戻しました。そのうちオートスライドで使わしてもらいたいと思っています。

2006年11月26日「ららぽーと柏の葉」オープニングイベントで初めて聞いて、「いいなあ」と思った、懐かししい曲です。
いいですよね、この曲。「市柏ブラバン応援歌」のつもりで流しています。
この曲ちょっと元気すぎるので、見合わせています。

皆さん、もうすぐチャリティーコンサートです。頑張って下さい。

それから「St. Anthony Variations」のマーチングをオートスライドにしました。どうぞ見て下さい。



2007年 12月6日


千の手
千手観音


全部見ると5分かかります

1回目は遅いですが
2回目から速くなります


久しぶりのオートスライドです。タイトルは「千の手になって」。
これは2007年8月28日の「千葉県マーチングコンテスト」のドリルの一つです。
この時はシード校でしたので競争なしで南関東大会へ進めることから、気分的に余裕があったので 、こういう楽しみ方も出来たのではないかと思います。
この千手観音のドリルは千葉県大会で終わりになりました。

南関東大会では実際には市習と市柏と市船との三つどもえで、2校が全国大会へ進めます。
その厳しい競争に勝つためにマーチングの内容は一新されました。結果を聞いて先生も生徒も大いに感激の涙を流した小山での南関東大会通過、そして大阪城ホールでの全国大会金賞にと続きました。

暑さの中でみんなよく頑張り、楽しく練習しました。その千手観音の写真の調子を加工してみると、それぞれ面白く思えましたので、急きょオートスライドに作ってみました。
ゆったりとした気持ちで見てください。
部活の優雅な一面という感じがしませんか。全部見ると5分くらいかかります。
音楽は「きよしこの夜」。こういうのをミスマッチの良さとというのではないでしょうか。演奏は市柏ブラバンではありません。


なお、オートスライドはインターネットの接続回線のスピードが遅いと、1回目はスムーズに場面が展開しない事があります。我慢をしてください。2回目からは速くなります。
その理由はこうです。
超高速通信といえどもデータ量の多いものは時間がかかります そこで「キャッシュ」を使って再現を速くします 「インタネットの環境設定でキャッシュにチエックを入れます 殆どは初期設定でそうなっていると思います」 1回目は読み込みに時間がかかりますがそのまま続けます 「表示の更新」をクリックします 2回目からは画像がさくさくと再現されます。

1年生と2年生 総勢150人が頑張ったマーチング「St. Anthony Variations」は今最後の調整確認中です。これもお楽しみに。



2007年
10月25日


香港からメール

「イモ畑のそばに立っている栗の木 
私たちが植えたもの


香港在住の15期生OG のKさんから「イモ畑とイモパーテー」のHPに関して突然メールが来ました 。

「私は年が明けたら海外生活11年になりますが、海を越えてもこうしてイチカシのブラバンを身近に感じる事ができ、とても嬉しく、明日も頑張っていこう!と活力になっています。
今回、メールをさせていただいたのは、まさか『イモ畑とイモパーテー』までが載るとは思ってもいなかったので、この驚きの気持ちを伝えなければ!!と勝手に思ったからです。
こんな裏行事まで掲載されると誰が思うでしょう!!
この写真を観て、『うお〜〜!!』と驚いて喜んだ卒業生は結構いるんじゃないでしょうか。
体育祭のマーチングもそうですが、この行事の発表はある意味レアだと思います。
こうなったら部内行事・・・今は芸大会とかあるのでしょうか??・・・・も逐一レポートをお願いしたいものです。

そして、今回どうしてもお伝えしたかったのが、イモ畑のそばに寂しく立っている栗の木、柿の木です。
柿の木だったかどうか、ちょっと確かではないのですが、この栗の木、私たちが植えたものです。
どうやって入手した苗かは全然知りませんが、植えた時に、石田大先生が『桃栗3年、柿八年っていってなッ!!!植えろ!植えろ!!』とあの調子で言い、『うちら、食べられないジャン・・・・』とみんなしてつぶやいたのを覚えています。
そんな事を知っている人・・・あの学校で働いている大人たち・・・は、今あの学校にいないんじゃないでしょうか」

どのようにして海外でこの「イチカシ・ブラバン物語」を知ったのですか、と聞いたところ、
「今年の冬〜春くらいに誰に教えられたわけでもなく、『イチカシ』『ブラバン』『写真』とネット検索をして自分で発見した次第です。
発見したときは夢中で見まして、おかげさまで寝不足になりました。
たしか『柏塾』だったか写真が掲載された時には、中学の恩師まで載っていたので喜び驚き2倍でした」
続いて「私の今の目標はシンガポール遠征を観に行くことですが、いつどこでどんな目的でやるのか全くわからず困っているところです」とありました。

ありがたや、ありがたや。これはオーストリアのザルツブルグ(10月16日に既報 )に続き、海外から二人目のメールです。


2007年10月24日

不思議なことが
「イモ畑の由来」


今朝は夜中に起きて、朝6時前に「市柏のイモ」を立ち上げました。
それ以後、9時すぎまでの3時間少しの間に訪問してくださった方は25人ほど。どうした訳か今日は時間をかけてたくさんの項目を見てくださるのです。170を超えたようです。こんなことは珍しい。不思議です。

「市柏のイモ」のコメントで、石田修一先生の「私と吹奏楽」を紹介したからかなと思います。
これは、去年の12月にインターネット見つけ、いつか紹介したいと思っていた石田先生の姿勢です。
練習の最中によく生徒が石田先生の雷に打たれています。その光は『「音楽教育」の前に「人間教育」を』という雷光です。
雷様(ライサマ)の考えに触れて、もう一度ブラバンの様子を見ようという気持ちが起きて、たくさんの項目を見てもらえたのかなと思います。

生徒の皆さんも、石田修一先生のコラム「私と吹奏楽」をぜひ読んでください。分かっていることとは思いますが、ぜひ。






2007年10月16日

訪問者数の推移


IT社会」と言われるようになって久しくなります。ITを日本語で言うと「情報技術」。その最先端がインターネットです。
「イチカシ・ブラバン物語」をクリックしていただくと、こちらではそのパソコンは何回目の訪問なのかなどの情報が分かるように仕組んでいます。ただ個人名などは分かりませんが、これは恐ろしい技術です。ITは便利なだけではありません。気をつけないといけない技術です。
ということを前置きにして訪問者の情報をお話しします。

「訪問者のカウンターを見ていると、朝2人、昼2人、夕方2〜3人、深夜3〜4人くらいです。その10人の方に見ていただくために、精一杯やっています。そりゃもっと多くなりゃいいと思いますが、『質のいいものを作れば、何かのチャンスに(訪問者数は)急増する』なんて期待しています」
こんな調子で今年の2月に「イチカシ・ブラバン物語」はスタートしました。
それが8ヶ月後の10月14日の訪問者数は約250人、というか250台のパソコンがこのサイトをクリックしてくれたのです。特記することは、その日は89分もの長時間見てくれた人がいたこと。約1500もの項目をチェックしてくれた。こんなことまで分かるのです。
マーチングの東関東大会があったので250という数字になりましたが、普段は150くらいです。
こういう解析を始めたのが7月。以後3ヶ月ちょっとの間に1回以上クリックしてくれたパソコンの台数は4300。本屋さんでいうと「イチカシ・ブラバン物語」を立ち読みしてくれたお客さんは4300人いたということになります。

たまに英語圏からも。-----これは「KASHIWA MUNICIPAL HIGH SCHOOL BAND」と打つと世界のどこからでも「イチカシ・ブラバン物語」を見ることができます。文字は化けてしまいますが、写真はそのまま見ることができます。試しにやってみてください。「市立柏高校」より上位にヒットしますよ。
このホームページは瞬時に世界中を巡っているのです。ITはすごいですよね。

世界のどこからでも見ることができるという例で、はるか欧州・音楽の都からメールをいただいたのでその一部を紹介します。
10月16日、深夜のことでした。差出人はイチカシ17期生で、緑川先生より2学年上です。
「私は高校を卒業した後、音楽大学に進んでオーストリアに留学して今はオーストリアでオーケストラの団員をやっています。
オーストリアのザルツブルクという所に住んでいます。
市立柏で吹奏楽をやったことは今でも誇りに思っています。
今でも大ファンです。
でも、海外にいてなかなか高校に行ったりもできず寂しい思いをしています。
そんなときに、このイチカシ・ブラバン・物語と出会いイチカシ生が頑張っている姿を見ることが出来て、とても幸せでうれしく思っています。
毎日毎日写真を見て、勇気づけられています」


これは驚きでした。そして2回目のメールにこうありました。
「今年のチャリティーの時期には日本にいる予定なので市柏にもチャリティーにも顔を出したいと思っています」


さて、「市立柏高校吹奏楽部ってどんなところか知りたい。伝えたい」が取材を始めた動機なのですが、「人間として成長する姿」を見続けています。
夏の苦行に近い活動を乗り越えて、たくましい顔になった生徒さんはたくさんいます。しかしながら、正直言って「自主性が基本のクラブ活動なのに、先生の指示待ちが多すぎる」傾向にあります。「これじゃ何のための部活か」と思うことがあります。が、たまに喝采を送りたくなるような正義感や牽引力を発揮してくれる頼もしい生徒もいて、さすが若さだと感心させられることも。
この若さの魅力に出合いたい。そんな場面が一枚でも多く撮れることを楽しみに通っています。




2007年9月12日

「熊谷元一」という名前


去る8日、久しぶりに市柏ブラバンの練習を見に行きました。
ホルンのメンバーの、あのMさんがいない。どうしたの、と聞きましたら、交通事故で入院しているとの事。緑川先生に確認すると、重傷で、集中治療室に3日入っていたという話。
ありゃー。えらいこっちゃ。
頭を打ったから、包帯巻いてうんうんうなっているのじゃないか、心配しながらそっと病室のカーテンを開けてみましたら、いつもの笑顔がありました。
テレビを見るくらいが唯一の楽しみで、早くマーチングをやりたい、と言うほど良くなっていました。
良かった、良かった。

病室を出たら、廊下に「熊谷元一の童画」というタイトルで絵が数点かかってありました。
解説を読んで、やっぱりそうか、と思いました。
この熊谷元一という人は、1909年、長野県会地村(現阿智村)に生まれ、教師をしながら村の様子、生徒の様子を写真で記録し続けた方で、この方が1938年(昭和13年)に朝日新聞社から出版された「会地村 一農村の写真記録」という写真集を、私はずいぶん昔ですが神田の古本屋で見つけて、今でも大切にしているのです。
まさしくその熊谷さんでした。

私が柏市立柏高校吹奏楽部を撮らせてもらおうと思ったのは、この熊谷さんの影響を少なからず受けています。


2007年9月2日

‘熱い’夏は終わった
     私は疲れた


9月2日 午後6時45分 学校内サーッカー場。
真っ黒な夜空に浮かび上がった市柏ブラバン隊が、高らかに行進して、夏の部活は終わりました。
私は、マーチング初心者がどんな風に上達していくか、2年生が1年生をどのように仲間にしていくか、そんな単純な事を時間をかけて見てみたいと思っていましたが、楽しく‘観察’する事が出来たと思います。
ちょっとだけ説明しますと、私のやる写真は‘表現’ではありません。‘伝達’です。だから‘観察’なのです。
若い人の力、部活の魅力が、いかにしたら見て下さる方にそのまま伝わるか、そこが私のやりたい仕事です。
とくに、音楽教諭になって2年目の緑川先生と高校生とが交わす思いやりは、私にとって感動に近いものがありました。感動してしまうといい写真は撮れません、だから、近いものなのです。
おかげさまで、夏休み後半は連日200人以上のサイト訪問者があり、「子供たちのパワーに、感動」なんてメールをいただくと、「やった」という気持ちになります。

マーチングの皆さん、第2ステップへの挑戦、がんばれ。

私はすでに高齢者の仲間入りをしています。炎天下のイチカシ通いはこたえました。疲れました。しばらく休みます。
サイトの写真は、「壮行コンサート」の後は「夏の思い出」を掲載します。面白いですよ。見て下さい。



2007年8月15日

ブラバン生徒
良いところと
改めるところ

父母の方々からいただくメールによると、市柏ブラバン生は、帰宅後は「やっとの思いで風呂に入ってご飯を食べて、バタンキュー」らしい。
ですから、テレビなんか見る時間はないのでしょう。そのおかげと思うのですが、バラエティーやお笑い芸人の使う変な日本語に毒されていない。「ら」抜き言葉もあまり話していないように感じます。
これからもいい音楽とともに、正しい日本語を使う高校生であり続けてほしいと思います。

次に大いなる悪点を話します。思い当たる方は少なくないでしょう。
最近3通の差出人の名前が書かれていないメールを受け取りました。
‘携帯から送られた間違いなくイチカシ生からのメール’です
仲間の間ならどんな書き方でもいいとは思いますが、メールは電子の手紙です。
一般的には「○○様」、続いて用件、最後に自分の名前をフルネームで書く。こんな事あたり前です。年配者に絵文字は通じませんし、使ってはいけません。ついでながら、(笑い)などと書くのもどうかと思います。
差出人を書かない手紙は絶対にいけません。「怪文書」です。

父母の方々のメールにはそんなメールはありませんでしたし、生徒さんからもちゃんとした手紙になっているメールをいただいています。
携帯で出すメールも、手紙のルールが基本です。



2007年8月12日

食べ物談義


市柏ブラバンの生徒さんの弁当は量が少ない。8月17日に昼飯風景を見てもらいますのでその時に分かりますが、一般的にはおかずとご飯が別々になって2段重ねの弁当箱です。これが3年女子になると、そうめんが少し、野菜が少しの弁当もあります。太らないための努力なのです。若いときは大いにぴちぴち太ったら良いと思うのですが、本人にとってみればはそうはいかないらしい。
夏休み中でも、朝8時半までには登校し、夕方5時までは練習が続きます。その間昼食以外の食べ物はいっさい口にしない。

そんなある日、ある金管楽器グルーブの練習の合間に、女生徒のこんな会話が聞こえました。
「ケーキならカットしていない丸い(大きい)のをそのままひとつ食べられる」
すかさず別の声。
「ロールケーキだったら、一本食べられる」
家に帰って我が連れ合いに、その事を話したら、
「洋菓子学校の先生で、羊羹を一竿(一本のこと)食べるという人がいたよ」
次の日その話を、ケーキ好きな市柏ブラバン生に話したら、また別の人が、
「虎屋の羊羹だったら、食べられると思う。食べてみたい」

この『ギャル市柏』はすべて2年生でした。
そばで、1年生が聞いていましたが、何のコメントもせず、顔で「あきれた」と表現していました。



2007年8月10日

ブラスト




を見てきました


この舞台のために どれだけの練習をしたのだろうか

私が初めて市立柏高校の音楽室に入った時、去年の12月14日でしたが、そのサウンドに聞き入ってしまいました。
バイオリンやチェロの弦をこすって出す柔らかい音とは違った透明感のある音に、ああこれがブラスの音かと感心した事を覚えています。よく聞いてみると正確にはそれを「イチカシ・サウンド」と言うのだと納得しました。

私の聞き慣れた「イチカシ・サウンド」とは違った滑らかなブラスの響きで『ブラスト』は始まりました。言い方を変えれば『ビロードのようなブラスの音』、そんな感じでした。

観客には若い女性が目立ちました。
私の 席は一階の前から7列目。切符は一番高いのを買いました。映画ならシルバー料金の私にとってかなり高い金額でしたが、その分懸命に見ました。納得できるものを見、聞かせてらった気がします。

舞台は50分が2回、息をつかせぬ展開でした。
一番驚いたのは「カラーガード」です。イチカシは女生徒ばかりですが、「ブラスト」では男もいます。男と女が半々で、フラッグや手具が生き物のように動いていました。機械のように動いていたのではありません。意思ある生き物のようにです。
マーチングなど演技の基本は腰のようでした。動きは段取りよくそろっていたというより、次々繰り広げられる気迫あふれる動きが、結果としてよくそろっていた、そんな演技なのです。
どれだけ練習すればこの境地になれるのか、と感動しながら見ました。

音では、ジェームスさんのトランペットがすごかった。
私の鑑賞力では、すごかったとしか言えないのですが、聞いた事のない鋭い音でした。
双眼鏡で見てみましたら、楽器に小さなマイクがついていました。それでもそのトランペットから直に音が出ているように聞こえ、これは音響の技術もかなりなものだなと思いました。
顔をアップで見ると、目の玉ひんむき、汗が吹き出し、その迫力は音以上でした。

ところで『ブラスト』はブラスバンドのブラスから来ている言葉と思ったら違っていました。
『爆発』という意味でした。

私はこの分野では素人ですので、「ブラスト」を見て聞いての感想の言葉として、「すごい」が精一杯の言葉ですが、イチカシ・ブラバンの写真を撮る上で、確かに「すごい力」をもらった気がします。



2007年7月11日


特訓の季節


「ガード」とは

 


「試験より 放たれた空 はや夏雲」


今からちょうど50年前、私が高校1年の時、国語の時間にクラスメイトが作った俳句です。
いい句だと思います。黒板に書かれた句をすごいなあと感心して見たことを私は今でも覚えています。「試験から・・・・・」だったかもしれません。
試験が終わった、さあ夏休みだ。その喜びにあふれる気持ちが大宇宙に広がって行きます。本当だその通りだと思ったから、今も心に残っているのでしょう。
この句の作者は、後に読売新聞の大阪社会部記者になりました。

さて、試験から放たれたイチカシ・ブラバン生はどんな夏を過ごすのでしょうか。
練習に明け暮れて、サウンドに磨きをかけ、マーチングに一生懸命になり、ひとまわり大きくなる事でしょう。
一年生の様子を見ていますと、入学した頃はまだ中学生のような、かわいい感じの人が多かったのですが、今では立派に高校生の雰囲気を備えています。早くも若い先生に冗談を言う女の子もいます。なかなかたくましいと私は思います。
女子からよく声をかけられている緑川先生の話では、1.2年生はこれから8月末のマーチング大会を目指して体育会的な訓練が始まり、炎天下で真っ黒になって練習するとのこと。

ところで、マーチング用語の「フラッグ」とか「ガード」とかに、どんな意味があるのでしょうか。
にわか勉強ですが少し説明しますと、アメリカの行進演奏では、国旗や軍旗のような権威を象徴する旗(カラーcolors)が隊列の先頭に掲げられ、その両側、または後ろにライフルやセイバー(剣)を持って護衛する「ガード」という人たちがいて、その後ろに国旗や大会旗とは別のフラッグを持ったグループが並びました。現在では、演技グループの総称として「カラーガード」(またはカラーガーズ)と呼ばれています。(吹奏楽 おもしろ雑学事典より抜粋)
イチカシでは「カラーガード」を略して「ガード」と呼んでいるようです。

7月11日の午後、5時間にわたる「ガード」の特訓を見せてもらいました。
1年生10人、2年生10人、総勢20人の歩行訓練から始まりました。
その様子はこのサイトに掲載します。

1年生は初心者ですが、2年生にも今年から始める人が5人いて、初心者だらけの「ガード」ですが、稽古稽古を繰り返して見違えるような「ガード 」になって、「アリラン」のように、イチカシ独自の世界を見せてくれるでしょう。
私は皆さんのへばりながらも頑張る姿を撮りたいと楽しみにしています。

そして、お父さんやお母さんとの会話の題材にして下さい。
練習に汗を流す写真を見たら親子の会話がもっと増えますよ。



2007年6月24日



「かしわ塾」余話


その1 『数え90歳のイチカシファン』

「かしわ塾」2日目 受付が終わった頃でした。元気そうな年長者(後で分かったのですが年齢は62)がやってこられ、「後援会の受付はどこでしょうか」。
話を聞いてみると「かむかむコンサートの受付で後援会の入会は『かしわ塾』でと聞きましたので、松戸の五香からやってきました」。
もっと聞いてみると「かむかむコンサートのラインダンスで真ん中の娘(こ)の笑顔が大変良かったので、ぜひ入会したいと思って・・・・・」
この年長者と話していたのは私でしたが、たまたま『ラインダンスの真ん中の娘』はすぐそばにいました。「この人ですよ」と引き合わせたら、彼女は目を丸くしてほほをポット赤らめ、お互いに見つめ合って大笑い。当然ながら年長者も目を丸くしてこれ以上の幸せはないという表情でニコニコしています。
ラインダンスの立ち位置は、背の高さで決めていると聞いたのですが、見る側からすると、真ん中の人が一番と思っていますから、彼女は観客の期待にしっかり答えているのですね。
少し離れたところにおばあさんが座っていました。年長者のお母さんで大正8年生まれ、数えで90歳。そんな歳には思えないほど若く見える方でした。その上、息子さんがちょっと老けて見られるらしくて、周りにいたものは夫婦かと思いました。嘘みたいな話ですが本当です。
実はこの90のおばあさんが、熱心な市柏ブラバンのファンで、昨年のチューリップまつりで演奏を聴いて「吹奏楽はいいなあ、イチカシはいいなあ」と思ったという話をしてくれました。
結局この親子、一番のイチカシファンは90歳のお母さんで、その案内で同行しているうちに62歳の息子もファンになったというようでした。

この親子連れさん、当然午後の発表会は来ていました。ラインダンスも見たはずです。熱烈な後援会員となって、また聞きにこられると思います。


その2  『昭和20年6月末の朝日新聞』

「かしわ塾」は本館の教室、体育館、別館、市立柏高校全部を開放して開かれました。
別館へ行く廊下に「昭和20年6月末の朝日新聞」が5枚でしたか壁新聞のように張ってありました。昭和20年6月23日に 牛島司令官が自決して、沖縄での組織的戦闘が終わった時期の新聞です。
市立柏高校はすごいなあ、こういうものを張り出しているんだ。驚きました。
私は沖縄へは取材で何回も行っていますが当時の新聞がどんな風に報道していたか、見るのは初めてでした。大本営の言う通りに嘘ばかり書いていたことは知っていましたが、本物を見るのは初めてでした。確かに牛島司令官が死んで撤退と書いてあるのですが、新聞全体の伝え方は全くの嘘。ひん死の日本の状況はどこにも書かれていません。それに乗せられて多くの人が死んだのだと思います。
私は同じ新聞社に写真部員として仕事をしていたので、これらの写真は完璧にやらせでおかしいと分かるのですが、国民は見事にだまされていたのですね。書いてあることが本当であると思わせる役割りを写真がきっちり演じています。写真とは恐ろしいものですね。

廊下を歩いていてもう一つの張り紙に気がつきました。今年の秋には今の2年生が修学旅行で沖縄へ行く案内です。
沖縄戦跡は今や観光地となっています。殆どのところがパスに乗れば回れます。誠に便利です。お土産屋も一杯あります。
バスから降りて歩く気さえあれば 昔そのままのところがあります。摩文仁の先の荒崎海岸は何の手も付けられずに残っています。沖縄の人々が逃げ惑って最後にたどり着いた沖縄本島最南端の珊瑚礁の岩壁を歩いてみるといいですよ。真っ青な海、手前には黒い尖った岩肌。裸足になってみて下さい。痛くて歩けるものではありません。照り返す熱がめらめらと、ここで死んだ人々の無念さが伝わってきます。

もう一つ、沖縄は芸能の国です。琉球の民俗芸能を一つでいいから体験してもらいたい。観光用ではなく出来たら本物を、はっと気づく何かがあるはずです。特に吹奏楽部の人に勧めたい。もし可能なら、自由時間に先生の許可を得て喜納昌吉さんや照屋林賢さんの歌や音楽を聞いてご覧なさい。違いますよ。どこが違うか、それは聞いてのお楽しみ。
さらにもう一つ、 音楽に興味のある人は調べてみて下さい。「カンカラ三味線」って何だ。松尾の公設市場付近の音楽店に並んでいます。

さらにさらにもう一つ、飛行機は沖縄本島へは北から超低空で進入し、ほぼ全島を縦断し南部の岩壁を見ながら那覇空港に着陸するはずです。最近は沖縄へ行っていないので確かな事は言えませんが、多分今でも変わりはないと思います。
乗客は超低空飛行なので風景がよく見えてサービス満点と喜ぶ事でしょう。私も最初はそう思ったのですが、実は違います。沖縄の制空権は米軍が握っていて、日本の民間航空機は目には見えないけれど細いトンネルのような所を通らせてもらっているにすぎません。米軍がいる限り空域はアメリカに占領されています。
こんな風に気をつけてみると色々なものが見えるはずです。



2007年6月16日

本当に
ラスト・アリラン
でした


ひさしぶりにイチカシに行きました。2年生と1年生がマーチングの基礎練習に精を出していました。朝9時から12時半まで、梅雨に入ったといえ予想外の好天でみんな日焼けしました。
この様子はオートスライドで報告します。

緑川先生に「マーチングのアリランはもうやらないのですか」と聞きましたところ、「新しいマーチングに向けて練習が始まりました。アリランは舞台ではやるでしょうが、先日のが最後です」

「ああ、撮っておいてよかった」と思いました。
今日完成したオートスライドのアリラン、踊っている人たちは「舞姫」ではなくて「天女」のように見えます。
イチカシ2、3年生の皆さん。いいものを残してくれました。

2007年6月14日

ラスト・アリラン



6月10日 柏市中央体育館でのマーチング大会 オオトリはイチカシの「アリラン」でした。
始まる時、「今のメンバーでの最後のアリランになります」と説明が流れました。
隣で見ていた一年生が「イチカシはすごい。すごい。・・・・・」と歓声をあげていました。
全くその通りでした。
練習に練習を重ねたからでしょう、演技に説得力のようなものがありました。
もう一回見たいと思いました。

半年ほど前ですが、韓国人に「アリラン」にはどんな意味がありますか、と聞いた事があります。
その方は娘時代に日本に来たので、どうしても濁音がうまく発音できません。
こんな話をしてくれました。

------------『アリラン』は朝鮮人にとっての「心の峠」です。朝鮮半島を見ても分かるように、中国と日本に挟まれて、二つの国の通過地点です。私たちは強国に征服されてきた悲しい歴史があります。「アリラン峠の向こうに平和な世界がある」そんな思いの歌なのです「アリラン」は-------------------

それにしても「アリラン」はなんと人の心を打つ音楽なのでしょうか。
もし、踊っている生徒さんの中に、遠くに単身赴任をしているお父さんがおられたら、娘の姿を見て泣き出すでしょうね。
もうすぐイチカシの「ラスト・アリラン」をオートスライドで見ていただきます。
音楽は朝鮮系の方が作ったホームページにMIDIデータの「アリラン」がありました。著作権フリーとありましたので使わせてもらいます。




2007年6月9日

日本はデジタル環境世界一



ADOBE(ホーメページ作成や画像調整)のソフトがバージョンアップされたので、説明会に行ってこんな事を聞きました。話したのはアメリカ人でした。
「日本のインターネット通信の速さは今や世界一,ソフトの開発はアメリカが盛んだけれど、使うのは日本人が一番熱心で、まずアメリカ版が作られ、次には日本版が出る」という話で、結局日本人の熱心さがパソコンやインターネットの進化に大いに寄与しているというのが結論でした 。考えてみれば、最近のインターネット通信の速さの進化はすごい。ですからIT(Information Technology)企業としては「ネット出版」ももうすぐという事に。
そうすると、5年後にはインターネット、中でもWebシステムを中心とするビジネスへの応用がもっと広まり、インターネットは情報を得る手段としてはもっともっと身近なものになるのではと思います。

『IT』のすばらしいところは、瞬時に世界につながるという事です。
「イチカシ・ブラバン物語」というWeb写真展は、検索で「イチカシブラバン」と入れれば簡単に見つける事が出来ますし、「KASHIWA MUNICIPAL HIGH SCHOOL BAND」と入れてもらえば、世界のどこにいても見る事が出来ます。
ただし、パソコンの文字環境が日本文字でなければ、文字化けしてしまいますが、写真や音楽は大丈夫です。

今、「イチカシ・ブラバン物語」は、一日に確実に100人は見てもらっています。
私は「オートスライド」方式に力を入れています。いわば、インターネットの紙芝居です。
もうすぐ見てもらうのが、「一年生の初舞台」。

ここでひとつご注意を。
超高速通信といえども、データ量の多いものは時間がかかります。そこで「キャッシュ」を使って再現を速くします。
「インタネットの環境設定でキャッシュにチエックを入れます。殆どは初期設定でそうなっていると思います」
1回目は読み込みに時間がかかりますが、そのまま続けます。「表示の更新」をクリックします。2回目からは画像がさくさくと再現されます。

やってみてください。


2007年6月3日

珠玉の「ひとこと」



沼倉会賛助出演が終わって舞台の整理が始まっている中、司会の太田井先生が緑川先生に話しかけていました。面白い内容だったのであえて披露します。
「大きな声で言えないんだけれど」「ここだけの話だけれど」-----確かそんな話しかけだったと思います。「今年の一年生はすごいね。やるね」とまじめな顔して言っています。緑川先生はいつも通りのおおらかな表情で聞いていました。
私はすかさず合いの手を入れました。「緑川先生、昨夜のひと言が効きましたね」。緑川先生は相変わらずのおおらかな顔に見えましたが、そうだと言っているようにも見えました。

昨夜のひと言はこうでした。文化会館の外での打ち合わせの最後の言葉でした。
「君たちの演奏は2、3年生に比べたら下手です。あしたは一生懸命やれ


 

2007年6月2日      

 

 

オーディション       

 


5月30日、ほぼ2週間ぶりに市立柏高校に行きました。一年生の様子を見るためです。
最初に聞いたのは「サウザンド・リーブス」でした。すばらしく、良くなっていると思いました。音に輝きがありました。
緑川先生の指導で練習は続いていました。そこへ突然、石田先生が現れ、トランペットとトロンボーンの生徒は集まれと話がありました。
後で聞くと「7月12日に東京音楽大学の演奏会があり、その時の『バンダ(ステージ上のオーケストラ以外に設置された小編成のアンサンブルのこと)』の演奏者、トランペットとトロンボーン各2名のオーディションをあした行うという連絡でした。

「バンダ」では思い出があります。20年ほど前、東葛地域で初の環境オペラ「手賀沼讃歌」が作られた時、作曲者の仙道さんが「バンダを入れよう」と曲に追加し、本体のオーケストラとは別に2階だったか客席からトランペットの鋭い音が鳴り響いたのが印象深く残っています。
突然スポットライトを浴びて暗闇の中に登場するのはかっこいいものです。だから音は当然ながら冴えなくては、下手だったらバンダの意味がありません。

その役割りを1年生にやらせるのですから、ぜひともそのオーディションの様子を見たいと思いました。
オーディションは 5月31日、午後4時、場所は学校裏、利根運河沿いの土手の上です。
昔風に、映画風に言えば「利根運河の音合戦」です。審査員は田嶋先生と緑川先生の2人。
トランペット11人、トロンボーン12人の中から各2人ずつ選ばれます。
審査方法は30メートルほど離れたところから2曲吹きます。野球で言えば遠投力と球筋の良さを見るといったところでしょうか。

若い時代にオーディションの経験が出来るなんて、そうあるものではない。私は受ける皆の様子に興味がありました。
落ち着いて精神一到して吹き始めるもの、手に「人」と言う字を書いて飲み込んでいる人、様々でした。

まず名前を言うのですが、声が小さかったり、明瞭でないのはいけません。
その点でいうと殆どの人が落第です。
市柏ブラバンを取材してもうすぐ半年になるのですが、ここの生徒さんは「ハイ」という返事は確かによろしい。ところが集会などで大勢の人に伝達するときの声が小さい、本当に小さすぎます。これでちゃんと伝わっているのか不思議です。
本当はあまり伝わっていないのでは。よく石田先生に手違いでしかられているのは、伝達がうまく行っていないからではと思う事がしばしばです。

発表の内容については、緑川先生が総括的に簡単に話しましたが、「技術的にはばらばらで・・・・・・」といったところでしょうか。
四人の合格者が発表されましたが、落ちた人たちにはちょっと悔しそうな表情が見られました。

考えてみれば、社会に出れば、音楽の道に進もうとそうでなくても、フリーになったり私企業では、仕事の一つ一つにオーディションの雰囲気があります。いい加減にやっていると次の仕事が来ません。だから高校一年生でオーディションの経験をさせてもらえるなんて幸せと思わなくては。
市柏ブラバンではすべての事が志願制ですが、すばらしいシステムだと思います。

そこで一つ、落ちた諸君に知恵を授けたいと思います。審査員の先生になぜ自分は落ちたのか聞いてごらんなさい。演奏をもう一度聞いてもらいなさい。手紙を書いてもいいですね。多分返事はもらえると思います。何故かというと、ここは教育の場ですから。社会に出てそんな事をしても、「バカ、自分で考えろ」と言われるだけです。

「失敗は成功の母」-------------失敗をおおいに活かす。恥じかいて元々よ、やってごらん。

追記----6月2日 沼倉会のあと 緑川先生に「落ちた生徒が改めてそのわけを聞いたら教えてくれますか」と問いただしたら 答えは明快に『もちろん



2007年06-01
「パレード」をオートスライドに

朝日新聞の
「人脈記」を担当



「オートスライド」は「インターネット紙芝居」です。
街頭紙芝居は40年前あたりまでありましたが、今では消えてしまったので、高校生には化石のように聞こえるかもしれませんが、テレビのない時代の子供の楽しみでした。
このオートスライドは『フラッシュ』というソフトを使っています。「flashplayer」が入っていないと動きませんのでダウンロードしてください。

「パレード」は5作目です。これからどんどん増やしたいと思っています。
次は「一年生物語」になるかも。
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6月6日まで朝日新聞夕刊の『人脈記』------「銀座情話」の写真を担当しています。
この仕事でも3ヵ月かかっているのですよ。 去る3月の卒業式と前日の市柏ブラバン追い出し会は様子を見たかったのですが、このために行けませんでした。
こういう写真を撮るのが私の本職です。40年以上やっています。
分野でいうと「ルポルタージュ・フォト」です。
ですから私の撮る市柏ブラバンは「現代高校クラブ活動のルポルタージュ・フォト」です。

連載物の仕事はロータリー倶楽部の機関誌『ロータリーの友』でもやりました。
しょっちゅうある訳ではないのですが、こういう事でお金を稼いで市柏ブラバン通いの資金にしています。

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それから、最近のサイト訪問者は100人から150人の間です。見ていて下さる方々、ありがとうございます。


2007年04-12
訪問者数が100人近くに



先日 石田先生から「カウント数はどのくらいですか」と聞かれ、「90人」と答えました。
驚かれたようでした。
家に帰って、実際はどうなのかと調べてみると、カウント数は毎日70から90くらいあるようです。
カウント数70とした場合70人の方が見に来ているという事ではありません。私のシステムでは同じ人が2度クリックしても数字は変わりません。他の人がクリックしないと数字は増えません。
ですから実数は35人以上70人までという事になります

昨日あたりになりますと1日のカウント数は110。
私はその日はあまりチェックしなかったので多分実数として90人以上の方が見て下さったと思います。

また楽しいメールが・・・・・
「1年生が落ち着いたら、是非2年生の追っかけもして下さいね♪」
・・・・・・・と、娘が申しております(^^) 。

もう一つは卒業生から、『私が卒業したのはもう何年も前のことですが、学校や音楽室の風景をみて「あぁ懐かしい〜」と思いました。今でも色褪せない記憶です』

2年生の皆さんの姿、そして学校内の普段の姿 また追いかけます。

撮影NOTE  しばらく記入していませんでした。それは「最新の映像」にかなりコメントをつけるようになったからです。


2007-03-02 ナターシャ



いとしの「ナターシャ」へ

ボクの便りは君には届かぬ ああなんと 悲し
仕方がないから この冬空に向かって ひとりつぶやく
教えてくれたまえ 「柏ロマン」は「柏市立柏高校の校歌」なのか
そうだとすれば なんとおおらかな 清々しい校歌であることよ
ボクは毎日聞いている 飽きない音楽だ
卒業式には あの歌を君は歌うのか
いいなあ うらやましいなあ
聞きたいな
でもダメなんだ 
前日の「送る会」もダメなんだ
もう君とは会えないかもしれない
ああなんと 寂し

ボクは君のために BGMの音を良くしたよ
繊細な君の耳には
響きはそれほどでないかもしれない けれど
忘れないでいてほしい
青春の日々を サウンドを!

                 ハムレットより

追伸 高橋先生にメールの受け取り方を習ってから卒業すること


 

2007-02-26

 

ついに来ました
市柏生からのメール

 

「イチカシ・ブラバン物語」を見てどうだったか。
市柏の生徒さんからメールが来ないかなと心待ちにしていましたら、ついに来ました。

一部分引用します。

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『 引退してすごく寂しいです。あらためてまた石田先生の指揮で、あの狭い音楽室で合奏がしたいです。・・・・・・今の後輩達の姿等も見ることができて、嬉しかったです!!・・・・・(ここに、とても良い内容のコメントがあるのですが、ご本人の希望で略します)・・ これからも市柏ブラバン物語楽しみにしています!!・・・・・・ 』

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ありがとう。
これからは
「おつかれさまでしたの会」で皆がオイオイ泣いて・・・・そんな写真が続きます。
BGMは柏市立柏高校の校歌です。泣けますよ。
卒業後も見て下さい。

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ホームページ 大北寛写真展 「沼よ」「イチカシ・ブラバンよ」

http://www.ka5.koalanet.ne.jp/~teganuma/

都心から最も近い湖水
夕焼け富士がきれいな手賀沼(千葉県)のほとり 

人と自然と音楽の物語

Google(グーグル) 「大北寛」「イチカシ」で検索できます

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2007-02-24

 

マーチング

 

2月25日に「マーチングの発表会に出る」ということを聞いたので、練習と当日の写真を撮らせてもらいたいとお願いしました。

24日(土)は学校の中庭で丸一日練習があり、私は午後出かけました。天気は良いのですが風が本当に冷たい。
皆さん寒そうにしながらも笑顔を浮かべてがんばっていました。その様子は写真で見てもらいます。
帰りにお礼を言おうと職員室に入ったら石田先生がおられ、顔を合わすなり「イチカシ・ブラバン物語」いいですね、と言われました。先生の肩こり写真などを出しているのでまずいかなと気にしていただけに、私はうれしかった。
そして「2カ所データの間違いがあります」と指摘していただきました。まことにその通りです。ありがとうございました。
その上、BGMで『柏市立柏高校の校歌』を使う許可をいただきました。さっそくサイトで流していますが、かなり圧縮をしています。そのためサウンドの質は落ちます。

さて25日は幕張メッセのイベントホール。すばらしい会場です。ここでやれるなんてイチカシの皆さんは幸せ者だ。こんな経験なんてそうできるものではないと演技に期待しました。
生徒さんの練習を見ながら、実はずーっと前から気になっていた人がいました。彼女は明るくて何でもやって見ようとする熱意は大いにあるのですが、ちょっと背中を丸める癖があります。
せっかくの晴れの舞台なので、おせっかいとは思いながらもそのことを言ってみたら、意外な返事が返ってきました。
「ありがとうございました」続いて「自分には全く分かりませんでした」と言いながら背筋をのばしました。
「そうそう、あごを引くのを忘れないでね」
ほんとに素直ないい娘さんです。


それから気がついたことがもうひとつ。
こういう会は、おうおうにして本番の撮影は禁止であることが多いです。それは雰囲気をこわすし、素人からばちばち撮られて迷惑だという理由と、一番は著作権、肖像権の問題です。
私は演技する柏市立柏高校の許可はもらっているので、柏市立柏高校吹奏楽部の舞台は大丈夫だろうと思ってはいたのですが、顧問の先生から主催者側の都合で撮影は不可と告げられました。まあ本番はあまり期待はしていなかったので、ああそうですかいいですよ、と返事しました。が本当は、主催者側が面倒くさいからでしょう。今回は撮影可とする配慮があっても良いのにと思いました。

家へ帰って撮影の許されたリハーサルの写真を見てみると、なかなかいいのです。私の経験からいいますとリハーサルは照明が水銀灯の地明かりの様なので、色は全く冴えません。それでも演技はなかなかいいのです。
指導の先生が「皆さん元気がないね。何か悩みでもあるの」なんて言っておられたのですが、私はちゃんと照明してあげないからじゃないかと思って聞いていたくらいです。

私は本番を見ずに帰りましたが顧問の先生に聞いてみると、「ライティングは同じ」ということでした。今日は競技会ではないのですから、舞台として見せるライティングであっても良いのにと思いました。

リハーサル写真を『最新の映像-マーチング』で見ていただきます。ちょっとご期待ください。



 

2007-02-21

 

「リパブリック賛歌」

 

「へらちゃん」たちと話していて面白いことを知りました。
皆さんは「リパブリック賛歌」という曲は『アメリカ合衆国の民謡・愛国歌・賛歌であり、南北戦争での北軍の行軍曲である』ということは知っているらしい。
私たちロートル(年寄り)は『オタマジャクシはカエルの子。ナマズの孫ではありません』と歌ったもんだ、なんて話したら、何のこっちゃ、なんて顔をされました。
ホント?ホントに知らないの? 周りにいた子はみんなホントに知りませんでした。
面白いね。恐ろしいね。
そんなら当然『ごんべいさんの赤ちゃんがカゼ引いた。そこで慌てて湿布した』なんて替え歌も当然知らないでしょうね。
今の時代は『新宿西口駅の前・・・カメラはヨドバシカメラ』かもね。

おろ恐ろしや、恐ろしや、夢がない。 時代は変わったのです。



 

2007-02-19

 

へらへら


「へらへら」
面白い表現があるものだなあ、と思いました。パーカッションをやる生徒さんたちは、演奏していない時は、何となく頼りない表情をしています。
それを「へらへら」していると本人たちが言っています。
ところがその人が叩き始めると、自分の世界に入って別人のように表情が変わります。
「へらへら」していた人がえらいしっかりした人間になります。

この緊張感は何でしょうか。
むかし、むかし、そうですね30年くらい前、ジャズの渡辺貞男さんを取材した時、ドラムの人に向かって盛んにこんなことを言っていました。
「音楽の基本は心臓の鼓動だ。吹く楽器はそのまま心臓の鼓動通りに吹けるけれど打楽器はそうは行かない」
あまり難しいことは分かりませんが、イチカシの打楽器陣は自分の心臓の鼓動を聞きながら打っているのだと思いました。
だから「へらへら」が別人になるのだと思いました。

この「へらへらガール」たちに『イチカシ・ブラバン物語』のことを話しておきましたが、今日(21日)あたりから訪問者のカウントが増えてきました。声をかけてくれたのですね。
皆さんのおかげです。「ヘラちゃん 」どうもありがとう。


 

2007-02-18

 

初めてのメール


「山の一太郎」さんから『イチカシ・ブラバン物語』を見たというメールが来ました。初めて受け取った励ましの言葉でした。
ありがとうございました。
イチカシの生徒さんとも何となく親しく話せるようになって、きのう「ホームページか何かに載せるのですか」と聞かれました。
「ウワー恥ずかしいわ」
「面白いから見てね」と言って名刺を渡しました。

生徒さんは私のホームページを知らないようです。「イチカシ・ブラバン物語やってます」なんて書いた名刺を沢山作って配ろうかな、なんて本気で考えています。
今年卒業する3年生や、吹奏楽部OB、そして広くブラスの愛好者たちにも見てもらえたらいいな、なんて思っています。

それから校内へ入るときは、柏市立柏高校吹奏楽部の顧問の先生に許可をもらっていますが、好意的に対応していただいています。ありがとうございます。
2〜3年くらい続けて高校生たちの成長ぶりを追いかけたいと思っています。




 

2007-02-17

 

土曜日の過ごし方

 

土・日の学校のない日は朝9時から夕5時まで練習をすることは聞いていました。私はルポルタージュの写真屋ですから、「朝9時から午前中はどんな風に生徒は過ごしているのか」見たいと思いました。
すこしはのんびりして、9時前に来るのかと思いましたが、とんでもない、早い生徒は7時半頃から、遅くとも掃除が始まる8時半には皆んな来ているのでした。
休みくらいは寝坊をしてなんて予想していた私が甘いのか、それとも吹奏楽部の皆さんがクレイジーなのか。
もっと聞いてみると、2年生は北海道へ3泊4日の修学旅行があって、昨日帰ってきたばかり。それでも今朝は早くから練習に来ているのです。
いやはや、これは若さの力だなんて思いましたが、さすが今日は疲れるという答えがあちこちで返ってきて安心しました。
ひとり変な吹き方をしている人がいました、疲れからでしょうか唇がただれています。ヘルペスが、と言っていました。
人生長いんだから休んだ方が、なんて言っても、彼女は休まないでしょうね。

 


 

2007-02-14

 

チャリティー・コンサート

 

昨年の暮、12月22日から26日まで、6回公演で、正確には9700人を集めた柏市立柏高校吹奏楽部最大のイベント「チャリティー・コンサート」の記録を表紙で連載しています。
やってみるとなかなか面白い。多分、もうすぐ卒業する3年生には懐かしい思い出になると思います。
これから結構楽しい場面を出していきますのでどうぞ見て下さい。

訪問者のカウンターを見ていると、朝2人、昼2人、夕方2〜3人、深夜3〜4人くらいです。
その10人の方に見ていただくために、精一杯やっています。
そりゃもっと多くなりゃいいと思いますが、「質のいいものを作れば、何かの拍子に(訪問者数は)急増する」なんて期待しています。
そのきっかけはクチコミです。

友達に声をかけて下さい。
「イチカシ・ブラバン物語 やってるよ!!」

どうぞよろしく。

 

 

2007-02-11

 

何のために拍手の練習?

 

2月6日は入学試験日なので、ブラスの練習は柏市民文化会館小ホールでありました。そう大きくないホールの客席内でぎゅうぎゅう詰めの感じで稽古していました。
「互いにうるさすぎて練習にならないでしょう。なんで外でやらないの」と生徒に聞くと、周りに迷惑がかかるかもしれないので、との返事でした。
チャリティーコンサートでの校長先生のあいさつを思い出しました。
「柏市立柏高校のいいところは交通不便なところにあることです。町なかにある高校はブラスバンドの音楽を騒音問題にされて悩んでいるのですが、ここは周りにあまり住宅がないので、思い切り練習できるのです」

顧問の石田修一先生は、いま所属している教育委員会の仕事の合間を縫ってやってきて、拍手の仕方を教えられました。
なんでこんなことをするのか?
答えは「カラオケ大会」のマナーの練習でした。
当然ながらカラオケ大会の目的は、楽器だけではなく人前で歌えるようになることです。
「まず笑顔。大きく手を開いて思い切りたたきなさい。口笛でぴーぴーやりなさい」
口笛とは指笛のことでないかと思いますが、誰も鳴らせませんでした。
ここで一発ピーッとやってもらいたかったのに、残念。

石田先生の話をまとめると、
「みんな社会に出ると、カラオケで歌うことがあるだろう。好き嫌いに関わらず一曲くらいは歌えた方が良い。カラオケの場で一番良くないというか、やってはいけないのは、歌っている人の歌を聴かないで、歌詞帖で自分の次の歌探しばかりしていることだ。大切なことはともに楽しむこと、大いに拍手をして場を盛り上げることなんだ。そうすりゃう歌がうまくなる」

私はいつも「ニッコリ」してくれるチューバのOさんがいないことに気がつきました。チューバ仲間のM君に聞くと「音痴なのでカラオケ大会には出ないと言ってまだ来ていないのです」
その日は用事がありましたので、1年生の数人を聞いただけで帰りましたが、チューバのOさんの歌声を聞いてみたかった。音が外れていてもいい。私の口笛(指笛)でピーッと鳴らして応援したかったのに。


 

2007-
02-09

 

撮影 NOTE 開始

 

私は65歳になりました。世間的には高齢者の仲間入りです。
写真を撮っている高校生は15歳から17歳。そうすると半世紀も年が違う。
まだ通い始めて数回にしかなりませんが、つくづく思います。
若いということは本当にすばらしい。
通う中で失敗もあるでしょうが、とんでもない発見があるかもしれない。それが楽しみです。
なるべく失敗談を多く綴りたいと思っています。

柏市立柏高校吹奏楽部のみなさん。そして顧問の先生方。どうぞよろしく。

 


 

2006年
11月26日

 

「ららぽーと柏の葉」
オープニングイベント



市立柏高校吹奏楽部の活動を初めて見たのは(といっても、以前一度たまたまという感じで見ているのですが)、つくばエクスプレス沿線の「ららぽーと」オープニング記念イベントでした。皆さんの演技、ブラスの響きに圧倒されました。

楽しい高校生活を送っているなと思いました。



 
 
 

 


 
 
 


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